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翡翠抄−ひすいしょう−

第六章第四節第三項(135)

 3.

 コゥイの視線を前にして、イスカは二回瞬きをした。そういえば、いっていなかったかというような。
 やがて少し困ったように眉をよせ、微笑んでみせた。
「ええ……そうです」
 改めて口にされたその台詞は、イスカの表情とあわさってなぜか悲しい響きに聞こえた。拒絶されても仕方ないというような声音である。
「改めて自己紹介することになりましたね。僕は水竜の一族ではありません。地竜と呼ばれる一族の一員です」
 また知らない単語。コゥイの知らないことが、ここでは当たり前に登場する。自分の常識が常識にあてはまらない。
 コゥイは腕を組んだ格好のまま動かなかった。
 確信したのはイスカが口を滑らせたことだけが理由ではない。コゥイがこの部屋で最初に見たのは「真紅の瞳の」イスカ。水竜の姫をにらむ目には殺意に近いものが籠もっていた。赤い瞳は竜の攻撃色と教えてくれたのはイスカ本人だ。赤い色に変化する瞳を見たのは、お姫様に続いて二人目だった。
 他にも理由はある。コゥイが見聞きした限りでは、水竜の姫はどう考えてもイスカに気を使っていた。イスカと彼女の会話ひとつとってもまるで知り合いのようだった。なにより少年はコゥイのことを「同族」といった。お姫様と自分をさして「我らの」同族と。
 それらを突き詰めていけば、イスカの正体は明言されなくても薄々感づくというものである。 
「僕を不気味だと思われますか?」
 少し困ったような目で、それでも口元は笑みをたたえたままそう問われた。
 竜であることで嫌がられたとでも思ったのか。
 その台詞にコゥイは片方の眉を跳ね上げる。気が付くとスイレンもコゥイを見上げていた。イスカを否定しないでくれというような視線を向けてきている。
 コゥイは調子を取り戻すためにひとまず頭に手をやって、かりかりとひっかいた。
 そうやって心を落ち着かせるため一拍の間をとる。
「ふん。どうだっていいね」
 できるだけそっけなく言い捨てた。
 イスカはきょとんとする。
 そのイスカに言い聞かせるように、コゥイはさらに言葉を重ねた。
「どうだっていい、っていったんだよ。俺は人間だ。それを否定するものは許さない。自分がされていやなことを他人にしようとも思わない。お前は竜なんだろ? じゃ、俺はそれを否定しない。それだけだ」
 正直、魔法だの竜だの、そういう不思議なものとはあまり関わり合いになりたくなかったというのが本音である。だが今、関わってしまっている。
 妖魔と繋がりのあるヒスイに惚れたのがきっかけか、それとも大元を突き詰めれば魔法使いであるレイガとなんとなく一緒にいるようになってからか。コゥイは不思議なものは苦手だったが彼らの人間性を否定する気にはなれなかった。目の前にいる少年にもまた同じことがいえる。この少年の素朴で素直な性格を「人間ではないから」という理由だけで否定する気にはなれない。
 不気味だと思うかと聞いてきたイスカの台詞で、そういう自分の主義主張を思い出した。
 彼を「竜だから」という理由で不気味がるのはコゥイの主義とは反する。それでは「赤い瞳だから」という理由だけで自分を否定してきた大勢の人間達と同じになる。
 人間性以外の部分で他人を否定しないこと。
 それが、否定されて続けた人生の中で得たコゥイにとっての真実だった。
 さて目を点にしたイスカは、次に柔らかな笑みを顔中に広げ、その後くすくすと笑った。
「僕はつくづく、よい人間との出会いに恵まれましたね」
 どういう意味だろうか。コゥイが逆に面食らってしまった。笑い終わったあとのイスカはそれまでの悲しげな顔とは違い、随分すっきりした表情を浮かべている。
「言葉通りの意味ですよ。あなたのご厚意に今は甘えます。本当に感謝します」
 そのまま放っておくとえんえん感謝の台詞が続きそうだったので、コゥイはそれを右手をあげてさえぎった。
「ひとまずここから出るぞ。さっきの騒ぎを聞きつけられたら面倒だからな」
 ぐずぐずしている暇はない。目の前に転がっているイスカが倒した女兵士のほかに、もうひとりコゥイが気絶させた女兵士が部屋の入り口付近にいる。その兵士がほかの女に発見されて大声を出されるかもしれない。コゥイが脅してここまでの道案内に使った侍女が発見されているかもしれないし、あるいは自力で目を覚まして人を呼んだかもしれない。時間はないのである。
「どこから逃げる?」
 コゥイはこの場所を知らないから脱出経路がわからない。問いかけに、琥珀色の瞳がしゃんと立ち直った。私事の表情が公務の目に切り替わる。
「壁に穴を開けます」
「はぁ?」
 杖を構えた少年神官は、いうが早いか壁の一角に近寄った。
「おい、まさか強行突破……!」
 竜である彼のことだ。力づくで蹴飛ばすのかと思ったが、そうではなかった。
「しませんよ、さすがに」
 と微笑したあと、壁の装飾に手をかけた。スイレンが顔色を変える。
 とても小さな音がした。コゥイの耳には、金属のかけ金が外れた音に聞こえた。そのあとイスカが軽く壁の一角に手をかけ、思いっきり押すと壁が引き戸のようにずれた。その向こうには黒々とした闇がぱっくり口を開けている。隠し扉だった。
 スイレンはさっきよりももっとはっきりと青ざめていた。どうしてその場所を知っているのかと、口はきけなくとも紙より白くなった顔色がはっきりと物語っている。
「こっちです。ここは、いざというときのために兵士を隠しておくための場所なんですよ」
 蜘蛛の巣が張っていた。ここに人がこなかった証拠である。こんなところにも蜘蛛はいるらしい。
 コゥイは頷くだけで諾う意を示し、次に放心している水竜の姫を親指で指した。
「これはどうする? 人質にするとかいっていたが」
 一説によれば人間よりはるかに高位の存在、しかも姫君に対して「これ」扱い。スイレンはいたく矜持を傷つけられたようだが意外にもイスカは平気な顔をしていた。
「スイレンは僕がおぶりますよ」
 連れていくつもりらしい。コゥイには邪魔な足手まといにしか見えなかった。そんな表情を読んだのかイスカが振り向く。
「水の属性は命令系統が整っているんです。それが欠点といってもいい。命令をくだす立場の存在が見あたらなければ組織は組織として動けません。ここの指揮官は、この方です」
 と、水竜の姫を手のひらで指し示す。
 コゥイは頬をゆるめた。指揮官というとやたら澄ました優男か老人と相場は決まっているが、見目麗しい女主人でも悪くない。無力な婦女子を人質にとったとなると男が廃るが、彼女が実質の指揮官であるならば捕虜にするだけの価値がある。
 イスカはスイレンに手を差しのべた。
「申し訳ありませんが、今しばらくおつきあいいただけますか?」
 当たり前だがスイレンがその手をとることはなかった。彼女は声を封じられ、その上今は後ろ手に縛られているのだ。手をとりたくても無理というものである。しいていうなら足が自由だが、淑女が長い裾をたくしあげて蹴り技を放つ真似はするまい。せいぜい逃げ出すために意外な俊足を披露するくらいだろう。
 ヒスイなら使えるものはなんだって使うだろうなと、コゥイは妙なことで惚れた女を再評価していた。
「ああ、しょうがねえ。どけ」
 コゥイは二人の間に割って入った。
 この少年にまかせていては何事もゆっくりとしか進まない気がする。それでは遅いのだ。コゥイはいきなり、一本きりの屈強な腕でスイレンを担ぎ上げた。荷物を担ぐのと同じくらいの乱暴さである。
 スイレンは顔中に驚愕と屈辱の色を浮かべる。コゥイはそれに気づいたがわざと無視した。
「おい、くそ坊主!」
「はい!」
 打てば響くように答えが返って来、イスカが背筋を伸ばす。コゥイの口の悪さは気に止めるに値(あたい)しないらしい。
「荷物は俺が持つ。テメエはとっとと道案内しやがれ。俺が入ったら即、扉をふさげ!」
「はい」
 元々従僕として育ってきたイスカである。命令するよりされるほうが得意だ。そしてコゥイは誰かに偉そうに命じるのは常である。どちらの立場が上なのか分からないような言葉のやりとりのあとイスカが抜け穴に入り、コゥイがその後に続いた。暗がりの中で壁の細工を裏から操作し、隠し扉を塞ぐ。
 そこは狭い部屋になっており、そこからさらに細い出入り口を抜ける。
 がらんどうになった通路が口を開けていた。少しカビ臭い。
「広いな」
「ええ。緊急時に使用するものですから、竜が本体のまま通れる大きさに設計されてあります。今の僕らには大きすぎますね」
 通路は暗かった。イスカはそれを苦にしないで先に進む。コゥイはどこからか漏れるわずかな明かりを頼りに、あとをついていった。夜目はきくほうだ。軽い駆け足で進んでいったが、二人とも足音はない。イスカは柔らかな靴底の靴を履いているし、靴を履いていないコゥイの足は石畳の上に降り積もった綿埃も敏感に感じ取っていた。

 さて、腕に担ぎ上げられているスイレンは今、屈辱に震えていた。
 生まれたときから蝶よ花よと愛でられ、慈しまれてきた生粋の姫君である。竜はただでさえ出生率が悪いのでどうしても年長者が子供を甘やかす。大切に大切にされてきたスイレンは、現在のような振る舞いをされたのは初めてだった。後ろ手で縛られたことも、乱暴に持ち上げられるのも。その上、人間に荷物扱いされたのである。これが耐えられようか。
 しかし暴れ出すより先にコゥイに釘を指されてしまった。
「暴れるなよ。ケツ触るぞ」
「!!」
 怒りで顔が真っ赤になる。侮辱されたと感じた。今までスイレンを敬わなかった者はいないのに。
 イスカは多少品のない冗談にも付いていけるのか、くすくすと笑った。スイレンにはどうして常識のあるイスカが蛮族をいさめないのか不思議でならなかった。

 コゥイがスイレンを担ぎ上げるのは不利を伴う。腕が一本しかないのだから、それがふさがれるということは相手を攻撃できないどころか自分の身さえ守れない。しかし両手で杖を使うイスカが担ぐよりましなのだ。片手がスイレンでふさがれれば攻撃力がまず半分以下に落ちる。コゥイは丸腰だ。攻撃を補ってやることもできない。
 コゥイは、そういえばイスカがどこから武器を出したのか気になった。それまで彼もたしかに丸腰であったはずなのに。
「これですか?」
 イスカは琥珀色の杖を薄暗がりのなか掲げてみせる。
「荷物の中に入れていた僕の鱗です。地竜の鱗は武器・防具の加工材として最適ですからね。これはあらかじめ杖として加工していたもので、竜鱗に戻して携帯できるようにしてもらってたんです」
 そういうと、ちょっと立ち止まってコゥイに見えるように杖を構えた。イスカは左手だけでそれを握る。そっと手を開くと、何をしたのか杖は瞬時に収縮した。手のひらには握り込めるくらいの大きさの平べったい塊(かたまり)が残るのみ。
「お前の、鱗ね」
 彼が竜であるという告白を疑ったわけではないが、そういう証拠を見せられるとやはり信じないわけにはいかないらしい。
 イスカはまたコゥイに背中を向けて歩を進める。鱗だというその塊はまた琥珀色の杖に戻った。
 道はイスカが知っている。道案内役は身軽なほうが好ましい。それに、性格的にイスカは姫君を粗末には扱えない。急ぐ脱出時にそんな悠長なことをしていられない。コゥイならいくらでも粗末に扱える。その上でお姫様にコゥイが恨まれても、これから顔を会わせ続けるわけではないのだからその場の勢いで流してしまえる。イスカでは一度恨まれればこれからの付き合いに支障が出るだろう。
 スイレンは気づいていなかったが、コゥイはとっさに自分にもイスカにも有利になる選択をした。そして、何もいわなかったけれどイスカは気づいていて彼に感謝していた。

   *

 しばらく行くと通路は四つの辻に分かれていた。
「こちらです」
 よく知っている場所のようにイスカが先導する。まるで一度来たことがあるかのようだ。コゥイはスイレンを見た。コゥイと同じく不思議そうな顔をしている。ということはスイレンがこの少年をここに連れてきた可能性はなくなった。
「今度はこちらです」
 複雑な辻をまた曲がる。コゥイの肩の上でスイレンがなにやら口を動かした。コゥイは唇の動きから彼女がなにをいいたいかを読むことができた。
「テメエ、なんでこの場所を知ってる?」
 代わりに彼女の疑問を口にした。イスカが進んでいる道はどうやら間違えることなく出口へ続く道らしい。
 来たことがあるのかと重ねて問いかけてみると、意外なことにイスカは首を振った。
「……僕は子供の頃、ある方にお仕えしていました。その方には悪いことをよく教えてくれるご学友がいらっしゃいまして、そのご学友が水竜に仕える神官だったんです」
 イスカがいうには、かつて霧の谷にあった水竜の神殿の造りとこの離宮の造りはよく似ているのだそうだ。イスカのいう「ご学友」はしょっちゅうこういう抜け道を利用していたという。
「竜は寿命が長く、建造物の流行も人間ほど早く変化しません。この古さの建物ならどこも同じような造りになっているはずです。属性が同じならなおさらですね。本当にどこで何が役に立つかわかりません」
「なんだかその『ご学友』に親近感がわいてきたぜ」
「そう、ですか?」
 言葉は少なかった。
 コゥイは知らない。スイレンは知っている。どこかで狂ってしまった歯車。
 その少年が駆ける速度をゆるめた。
「コゥイさんには、この人のためなら死んでもいいという方はおられますか……?」
 イスカは前を向いているのでその表情は分からない。ただ、コゥイは自分がかつぎあげたスイレンが息を呑むのを体で感じた。
 短いやりとりだったがなんとなくイスカにとっては大切な質問だと理解できた。
 コゥイは首をひねる。イスカはどういう意味で死という言葉を使っているのだろう。改めて口にすると陳腐な言葉だ。生きる意味を放棄した人間にはとても簡単で手軽な響きしか持たず、生きることに疲れ果てた人間にとっては甘美な響きに聞こえるだろう。コゥイにとってはいつも隣にあるものだった。いつそれに捕まってもおかしくないし、それに捕まりたくないと思っている。
 死にたくない人間が、それでも自分の命を手放してもいいと思える、そんな存在のことをイスカは尋ねているのだろうか。
 思考はイスカ本人によって中断された。
「ああ、すいません。……変なことを聞きました。忘れてください」
 振り返った少年は口元に笑みを浮かべていた。嘘の付けない少年だと思った。目を見れば無理をしているのがわかる。
「顔に出てるぞ。無理すんな」
「え。あ、無理をしたわけではないですが」
 今度はすこし照れたように頭をかく。
「すいません。コゥイさんが一生懸命ここから脱出しようとしているのを見ていると、外にはそう思えるような大切な方が待っていらっしゃるのかと思いまして」
 意外なことをいわれて目が点になる。
 自分がここを出たいのは惚れた女を探しに行くためだ。コゥイが何かいわなければと、口を開く前にイスカが先に言葉を紡いだ。
「あのね、さっきスイレンの手を封じたとき、知り合いに盗賊めいたことをする人がいるといったでしょう? その人がまさにそういう人でしてね? 彼にはすごくすごく好きな女性がいるんです。本当に我が儘で自分勝手でどうしようもない人ですけれど、その女性のためなら彼は命も投げ出せるんだそうですよ」
 大切な、大切な、命よりも大切な存在。
 一生のうちそんな存在に出会える者が、竜や精霊、妖魔、人間を全部あわせても一体どれだけいるだろう。
「僕にもいたんです。女性ではなくて唯一無二の主(あるじ)でしたけれど。あの方を守り通せるのなら僕は本当に死んでもよかった。なのにその主がいうんです。僕に、死なないで欲しいと。逆ですよね。主人を守らずに従僕だけ生き残ってどうするんでしょうね。でもあの方はちゃんと僕に、生き残ったら何をするべきか命令して先に逝ってしまわれました」
 命を懸けられる相手を見いだせた自分は幸せ。
 大多数の者は、そこまで自分を懸ける相手を知らずに一生を終える。
「テメエがいうのは、さっきいってた子供の頃から仕えてた……?」
「はい」
 声はださずに唇だけ動く。ご学友だった方に弑し奉られました、と。
 胸を突かれた。
 茶色の頭はまたくるりと前を向く。
「でもね、その盗賊くずれの彼はいうんですよ。そういう主従関係がよく分からないと。命を懸ける対象は好きな女性じゃなきゃいけないってことはないでしょうに」
 わざと元気に振る舞うので、コゥイもそれにあわせて茶化した返事をした。
「そういやあ芝居の台詞であったな。『君のためなら死ねる』だったか?」
「聞いたことありますね。本当に、何か詮索するようなことを聞いてしまいました。すいません」
 コゥイの不用意な台詞に、押し殺していた懐かしい感情が吹き上がってきたのだろう。しきりに恐縮するイスカの小さな背中に今度は本音をぶつけた。
「……惚れた女のためには死ねねぇけどよ。相棒には命預けられんだよ、俺は」
 本人の前では、それこそ死んでもいいたくない台詞だ。
 大切にしたい女ならいる。だが女のために死んだら、その女を幸せにしてやるのは別の男の仕事だ。どれほど想っても届かない。幸せにはしてやれない。
 戦場では死が隣にいる。背中を預けられる誰かがいるなら生存率はあがる。もしもその背中から剣がのびてきたらと思わない日はない。だから信頼できる人間にしか背中を許せない。脳裏に薄ぼんやりした間抜け面が浮かんだ。頭が良くて剣の腕も立つが変人で何を考えているか分からない。だがあの男は決して自分を裏切らない。そう信じた。仮に後ろから殺されてもきっと後悔しない。
 イスカが足を止めた。振り向く。ほんの少し間があって、少年は本当に幸せそうに微笑んだ。
「あなたに神のご加護がありますように」
 竜は神を信じない。神官の法衣をまとう彼からその台詞が飛び出すのは自然なことかもしれないが、竜の口からでる台詞ではなかった。コゥイは片眉を持ち上げたが、それが彼なりにコゥイの前途を祝福してくれているのだとわかった。

 そのときだ。
 二人、いや三人は耳をそばだてる。明らかに自分たち以外の足音を聞きつけた。
 先を急ぎたい二人は緊迫し、助けを求めるスイレンは希望に目を輝かせる。
 イスカが手で、後ろに続くコゥイが先に行くのを制した。
「お静かに。隠れて」
 といっても何もない通路である。通路わきに体を貼り付かせるしかない。
「結界は?」
「防御結界は得意ですが、身を隠す結界は苦手です」
「納得」
 運にしか頼れないということだ。松明の明かりが徐々に近づいてきている。
 コゥイは肩に担いでいたスイレンをおろし、自分の体で隠すようにして胸に抱く。全体的に白っぽいスイレンの全身は闇夜で目立ちやすい。コゥイの褐色の肌とイスカの茶色い姿はまだましだ。
 息を殺す。スイレンは声を封じられているのだが、それでもコゥイは無意識に彼女の口を塞いでいた。気位の高いお姫様はもがき、その間も目尻をつり上げてコゥイをにらみつけていたが彼は蛙の面に小便である。
 カツン、カツン、カツン、カツン。
 足早に靴音が近づく。音からして複数。明かりがより強くなった。

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翡翠抄 −ひすいしょう−
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