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翡翠抄−ひすいしょう−

第五章第四節第四項(108)

 4.

 コゥイの腕に絡ませていた綱が引かれ、海水に浸かっていた二人は再び船に引き上げられる。まずコゥイが、そしてもう一本さげられた綱を使ってヒスイが船の上にあがった。あがってきて彼らが最初に見たのは、仁王立ちをしているレイガの姿だった。様変わりした「彼」の様子にヒスイとコゥイは目をみはる。
「あんたたち遅いわよッ」
 あれほどしっかりとかぶっていた頭巾をあげ、淡い檸檬色の髪を今は潮風になびかせている。それは娘のように高く結い上げられ、唇には紅、首と耳には――どこにしまってあったのやら――天然石を銀鎖で繋いだ装身具を身につけて。まごうことなきオネエ言葉でしゃべる彼は女装を終えていた。コゥイが一斉に鳥肌を立てる。
「何、変な顔してんのよ」
「おまっ……、おま……なん……」
「やーねぇ、人間のしゃべる言葉を使いなさいよ」
 そういって「彼」は肩にかかった髪をさらりと払った。仕草ひとつとっても実に女性らしい。コゥイは二の句を継げずにいた。
 ヒスイはといえば、そんな二人の様子を見ながら一歩離れたところで髪をしぼる。濡れそぼった黒髪は短いゆえ時間をかけなくてもすぐに乾くと思われた。服だけは、まさか男所帯のまっただ中で裾をたくし上げてしぼるわけにはいかない。だから体に巻き付けた布はそのままにしておいた。水の中ではあんなに軽くて滑りがよかった服は、地上にあがると重く、体にぴったりと貼り付いて気持ち悪い。しかも海水だからなんとなくべたべたするのだ。
 そう思っていたらレイガがちょうど、ヒスイと同じようなことをいった。
「潮風はべたべたするけどしょうがないわよね。暑苦しい頭巾をかぶっていても風を避けられるわけじゃないし」
 白い手を出して細長くて形のよい爪に息を吹きかける。
「見てよ。爪を塗るひまもなかったのよー? お化粧道具は口紅しか持ってきてなかったしィ」
「十分だろ……」
 コゥイの台詞ではないが、戦闘をしにくるのに口紅と髪を束ねるリボンと装身具をしっかり懐に忍ばせてきているだけでも十分だ。洒落っ気の欠片もないヒスイからすればそこまでする根性が不思議でならなかった。
 船はその間も進んでいる。甲板で始まった漫才を面白そうにみやっている者もおれば、その間に黙々と船を操っている者も多い。船の針路は島には向かっていなかった。
 せっかく漫才を楽しんでいるところを――と、ヒスイには見えていたがコゥイが聞いたら猛反発したであろう――邪魔するようで気が引けたが、ヒスイはその疑問をレイガに問うた。ヒスイは初対面の人間に声をかけることに勇気を必要とする性格だ。顔見知りの二人に話しかけるほうがよほど気安かった。
「この船はどこに行くんだ?」
「あら、気が付いた? そうよ、元いた島に戻るんじゃなくて、一応本島に報告をね」
「げ」
 最後の、ひきがえるが潰れたような声はコゥイだ。見ると、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。ヒスイはコゥイによく見えるように首を傾げたが、彼はヒスイと目が合うと肩をすくめてみせただけだった。説明してくれる気はないようだ。いや、聞かれたくないことなのかもしれない。
「本島に行くんなら俺は必要ないだろ。船倉に籠もってるわ」
 今まで以上にぶっきらぼうな態度でコゥイは濡れたまま歩き出した。ヒスイは必然的に彼の背中を見ることになる。
 その背中を見ながらヒスイはふと、青い瞳を細めて笑う盗賊崩れを連想した。
(――愛してるよ、ヒスイ)
 脳裏に鮮やかに浮かぶ笑顔と声。どうして今頃思い出したのか分からない。けれど、そういえばヒスイはセイの背中を見たことはほとんどなかった。彼はヒスイの前にはいなかったから。セイはいつもヒスイの一歩後ろにいた。甘えた声でヒスイを後ろから抱きかかえ、いつも同じ台詞を耳元で囁く。ヒスイ大好き、と。ヒスイは、だから前を向いて走り続ける。セイがいたから。時々行動が暴走するのでぶん殴って引き離したけれど、それでも後ろを気にせずにいさせてくれたから。
 守られるだけのお姫様などまっぴらだ。が、セイはヒスイを後ろにかばって何もさせてくれないわけではなかった。背後を守り、後ろから肩を抱いて、ヒスイが崩れ落ちそうなときに誰にも気づかれないよう支えてくれる。……その彼は、今はいない。

 突然、コゥイが振り向いた。その真紅の瞳を見るなりヒスイの意識は夢想から現実に引き戻される。
「ほれ、来い」
 手が差し出された。大きな手のひらが上を向いてヒスイを促す。何度か繰り返したやりとりだったので特に何も思わず、ヒスイは彼の手の上に自らのそれを重ねた。コゥイはヒスイの前にいる。前にいて、引き寄せて隣に並べてくれる。それはそれで居心地のいい位置取りなのだが。
 そんなことを考えていると、ヒスイの手をとった褐色の腕はそのまま強い力でヒスイを抱き上げる。
 流れるような動きはあまりに鮮やかに行われたので抵抗するひまもない。ヒスイはまた前と同じくコゥイの腕に腰掛ける形におさまってしまった。
「……お前は手を引っ張ると次は抱き上げるのが定番か?」
「お前にしかしねぇよ」
 赤い瞳が笑った。一本きりのたくましい右腕はヒスイ一人支えても揺るがない。たしかにヒスイの体重は軽いが人一人の重さはあるのだ。その腕はしっかりとヒスイをかかえなおし、コゥイは船の乗組員全員を見回すように一瞥した。
「と、いうわけで俺らはしばらく船倉にしけこんでるから、お前ら邪魔するな?」
「は!?」
 船がどよめいた。
「冗談じゃない!」
「安心しろ、俺も冗談はいわん」
 人一人抱えてすたすたと歩く。誰も止めなかった。いや、呆然としていて誰も口出しできなかったというべきか。コゥイの進行方向上にいる人間は気圧されてわざと道をあける始末だ。ただひとり冷静な顔をしているレイガは、腰に手を当てたまま小さくため息をついただけだった。
「やめろ! 放せ! ……いい加減にしろ!」
 足をばたつかせ、腕で叩き押しのけ、ヒスイは暴れたがコゥイは聞いていなかった。二人とも先ほどまで濡れていたので、服越しでも密着する肌の感触が直接的に伝わってくる。肌の張りの強さも血の熱さも。ヒスイの体を自分の体に押しつけるように力を加えられているので、なおさらだ。締め付けられてなけなしの胸が潰れ息苦しいほどに。これから先、起こることなど考えたくもない。コゥイはヒスイの抗議をきれいさっぱり無視してくれた。歩みは止まることがない。
 やがて薄暗い船倉に入る。
「放せ!!」

   *

 と、女性の絶叫を残して二人は消えた。甲板の上では全員がただその成り行きを見ているしかなかったわけで。
「……おい、どうする?」
 誰かが口を開いた。船倉からはまだ女の抗議の声が聞こえてくる。けんのある声。暴れる物音。怒鳴り声にコゥイの声まで混じり始めた。
「誰かとめるか?」
「いや、そんなことをしたら……」
 全員が同じものを想像していた。コゥイの怒りに満ちた真紅の目が、異形の魔物のごとき色艶を放って笑う光景を。これが想像の範疇にとどまらず、必ず起こるだろうという点が彼らの共通の意見だった。血の海ですめば可愛いものである。
 いや、猛り狂うコゥイよりももっと恐ろしいものが彼らにはあった。ぼそぼそと隣同士でつつき合う声の主たちはそうっと、怖いものを隙間から見るように、甲板に立つ美しい姿を注視する。柔らかな髪を潮風になびかせ、先ほどから仁王立ちしたままのレイガの姿を。
「……アタシの目の前で他の女に手ぇ出すなんて、いい度胸じゃないの」
 船内を吹雪がおそった。太陽は頭上で燦々と輝いていたが、彼ら全員、その瞬間だけ暑いとは思わなかった。思えなかった。まさに氷の女王(?)の呪いである。
 誰も今のレイガの顔を正面から見たいと思う者はいなかった。
 誰も『というか、お前は女じゃないし』などというたぐいの突っ込みはいれなかった。命が惜しい。
 レイガ嬢(仮)は悠然と、さながら夜会のドレスのごとく濃紺の長衣の裾をさばいて問題の船倉に向かう。誰もそれをとめなかった。そして、誰もがレイガの方が勝利することを確信していた。
「……。とにかく、俺たちはこのまま本島に向かおう」
 アジロはため息と安堵と、なにか薄ら寒いものを同時にかかえた呟きをもらした。全員がそれに曖昧に頷く。アジロが飲み込んだ続く言葉を、彼らもなんとなく思っていた。
 いわく。
(どう転ぼうと俺達にはそれしかできないし……)
 そして彼らは、ヒスイが敵側である大陸の人間であることも、男所帯の中で唯一の女性であることもすっかり忘れて黙々と本来の仕事に取りかかっていた。

   *

「放せ!」
 腕力・体力の点においてヒスイは大の男に比べるとどうしても劣る。素早さと小回りを武器に立ち回るしかないことを自分で十分に自覚していた。が、ここまでしっかりと逃れられないとなると昔と同じだ。いくら剣の腕を磨いても、いくら弓が巧みになっても、結局は力でいいように踏みにじられる。
「放せというに!」
 何度目かの抗議の声に、初めてコゥイが返答を返した。
「いやか?」
 当たり前のことを聞くと思った。だから間髪いれずヒスイは答える。
「いやだ!」
 コゥイの足が止まった。それに合わせてヒスイも抵抗をやめる。何をする気かと思っていると、体が動いてヒスイの足は床についていた。
 抱きしめられた腕はまだ離れていない。ヒスイの腰にしっかりと回されて、逃げるに逃げられない。腕に抱えられたまま、それでも床におろされたおかげでコゥイの目を見上げることができた。
「俺が嫌いか?」
 今度の問いには答えられなかった。
 好きじゃない。だが嫌いでもない。決して、嫌いではない。答えればいいのだ。お前など嫌いだと。そうすれば諦めてくれるかもしれない。諦めてくれないかもしれないけれど。唇が開く。それにあわせてコゥイの眉が不安げにひそめられた。
 しっかりと密着した体が心音を伝えてくる。呼吸音を伝える。肌の下の、血の熱を伝える。体が小刻みに震えた。いえばいいのだ、ただ、嫌いだと。
 開きかけた唇を、ヒスイは固く引き結んだ。
 いえなかった。どうしても、その一言がいえなかった。
 躊躇する様子にそれが答えだと分かったのだろう。コゥイが満面の笑みを返した。雲間から差し込む日の光のように明るい笑顔。
「そうか……!」
 何を納得したのか更に強く抱きしめられた。
「……や……、放せって!」
「どうして? 何がいやなんだ? 俺が嫌いじゃないんだろう?」
「お前のことは……きらいじゃ、なくても……、お前がこれからしようとしていることは嫌いだ! 私に触るな!」
 どうして、とコゥイは不思議そうに聞いてくる。
 それは心底不思議がっている声だった。自分のしたいことをヒスイがなぜいやがるのか本気で分かっていないようだった。ヒスイが必死に抵抗しているというのに、この男はヒスイの考えも自分と同じだと疑ってもいなかったらしい。
「お前、今まで誘ったらひょこひょこ付いてくる女しか相手にしてこなかっただろう!」
 絶対そうに違いないと確信をこめて噛みついた。意外なことにコゥイは首を振る。が、続く台詞はヒスイが頷けるものではなかった。
「違うぞ、相手の方が誘って来るんだ」
「……お前……」
「でもお前は、誘われてないけれど欲しいと思ったんだ。なぜいけない?」
 なぜ、といわれても説明しづらい。説明などする気もない。触るな、と繰り返した。コゥイは自分を欲しいといった。ヒスイは欲しくない。首を振る。それで納得してもらえないだろうことも分かってはいるけれど。彼が納得する答えをヒスイは自分の口から告げる気はないのだから。
 が、次にコゥイの口から飛び出したのはヒスイの意表を突いた。
「……前の男か?」
 一瞬、思考が停止した。
 それもたいそう間抜けな方向に。自分の顔がたいそう困惑した表情を作っているだろうことをヒスイは確信した。だがコゥイの表情ときたら対照的に、真剣そのものだ。
「前の男が忘れられないからか!?」
「そんなものいない!」
 一瞬……ほんの一瞬だけちらりと青い影がかすめたような気がしたが無視した。猫を被った悪魔の、か細い哀れな鳴き声も聞こえた気がしたがこれも無視した。
「嘘つけ!」
「なんで嘘なんかつかなきゃならないんだ!」
「じゃあ、なんで拒む!?」
 言葉に詰まった。
 生理的嫌悪を説明するのは、言葉ではとても難しい。言葉は無力だと痛感する一瞬だ。ましてヒスイは言葉を操るのは得意ではない。どういったら聞いてもらえるだろう。ヒスイが唇を噛みしめた。そのときだった。
「女の子を泣かすんじゃないわよ」
 コゥイの後ろからはっきりと「彼」とわかるハスキーな声が聞こえた。
 ヒスイに回された腕がそのとき初めてゆるむ。そして、ヒスイはコゥイのたくましい体躯を押しのけてその人を呼んだ。
「レイガ!」
「はぁい。邪魔しに来たわよん」
 ひらひらと手を振って挨拶をしてくる。色違いの両目は艶っぽくコゥイを見たが、コゥイは力一杯顔をしかめた。ここが小汚い船倉とは思わせぬ優雅な足取りでレイガは近づいてくる。女性さながらの仕草で彼に流し目を送った。
「無理強いはしなかったのね。いいコ、いいコ」
「テメエ……」
 そのまま頭をなでるかと思ったような声音だった。あいにくとレイガはコゥイと比べて頭ひとつ分は低い。次に艶っぽい視線はヒスイへと移される。
「助かった、って顔してるわよ」
「え」
 ヒスイは顔に手をやった。そこまで露骨な顔をしていただろうか。
「面白いわね、ころころ表情が変わって」
「え……いや、私は……むしろ表情が動かないほうで……」
 ヒスイは普段、表情をころころ変えるほうではない。むしろ無表情なことが多かった。けれど、怒ったりすねたり、笑ったり。環境がそうさせるのか表情筋はいつもよりうんとよく働いていた。南の島という温暖な環境のせいか、それとも人のせいかは分からないが。
「結構。健康な証拠だわ。さて、コゥイ。お役目ご苦労様。しばらく外してちょうだい」
「テメエ、ヒスイに手ぇ出したら承知しねーぞ」
「馬鹿おっしゃい。彼女の着替えは、今、着てる一着しかないのよ。本島に着く前に早めに乾かさなきゃならないでしょう」
 といってヒスイの手をとった。しっしっ、と反対側の手でコゥイを追いやる。顔はもちろん笑顔のままだった。
「といっても着替えなんかないのよね。一応このぼろ船にも寝台があるから、そこの敷布を巻いててくれる?」
「あ、ああ」
 ヒスイに触れるその手は男性にしては華奢で細身だ。それでもやはり男性の手で、きめの粗い肌も肉厚な爪も女性のそれとは違う。
 元々小さな船であるから船倉も小さい。しきりなど、もちろんない。食料品の山の影に入るように指示され、どこから取り出してきたのやら水を張った手桶と空っぽの桶のふたつを差し入れられる。手ぬぐいもだ。そしてレイガは二人を置いて船倉を出ると、すぐに白く洗いざらした敷布を手に舞い戻ってきた。
「テメエ、本気でヒスイに手ぇ出したら承知しねーからな!」
「やぁねぇ。なにが悲しくてアタシが女に手ぇ出さなきゃならないのよ」
 冷静に聞くと何も間違っていない台詞なのだが、女の姿をしたレイガがいうと妙に説得力がある。ヒスイはおとなしく、レイガから差し出された敷布を受け取った。

 並んだ樽の影に隠れながらヒスイはそっと背後を伺った。
 着替えろといわれても後ろには男が二人だ――男と呼ぶのに抵抗のあるのが一人いるが。手ぬぐいを濡らして髪をふく。肩や腕もふいていくが、体に巻き付けた濡れた布をほどく段階になって、ためらった。
 先ほどから物音がひとつもしない。それがかえって不気味でもあった。
「ヒスイ、聞こえる?」
 レイガの声がした。巻き付けた布の胸元をしっかり握りしめて、ヒスイは反射的に背筋を伸ばした。
「……あ、ああ。聞こえるが?」
「防音結界と不可視結界を同時に張ったからコゥイに覗き見される心配は減ったわよ。少し話をしない?」
 ヒスイはしっかりと布を握り直す。気化熱で体は冷えてきたが、警戒心が先立った。
「ああ……。話、とは?」
「コゥイについて一応誤解を解いておこうと思って」
 ヒスイは後ろを向いた。後ろは樽だ。樽の向こうにはおそらくレイガがいる。声だけのせいか本当に女性と会話しているような気がし始めていた。ヒスイは沈黙を守ることで話の先を促す。
「コゥイがね、ちょっときれちゃってたことは確かだけれど……でも、あなたのことを『自分の女だ』っていってる間は、この船の男どもはあなたに不埒なちょっかいを出そうなんて思わないの。コゥイは一目おかれてるからね」
 船の人間は白い肌を持つヒスイを最初、敵意のまなざしで見ていた。コゥイが抱き上げてヒスイを船倉に連れ込んだときの彼らの表情はどうだったか。敵意より先に、彼の言動に呆然としていただけだった。
 濡れた服はよりいっそう体の線をあらわにする。本能の導火線に火を付けるには、時に十分だったりすることもある。ヒスイは思わず自分の体を抱いた。
「……だから、とめなかった……?」
 コゥイが無茶をいいだしたときにレイガが肩をすくめただけにとどまったのは、そのほうが島の人間たちに対しては効果的だと思ったから。船倉に追いかけてきたときも、ちょうどいいときにやってきて助けてくれた。
「勘違いしないでね。アタシはあなたなんかどうでもいいの。でもあなたに何かあったらコゥイが傷つくわ。あなたのこと、どうやら気に入ってしまったみたいだから。コゥイが傷つくようなことはアタシがいやなの」
 飄々と「彼」はいってのけた。どうでもいいと明言されたことでヒスイの中で少し痛みが走る。この「世界」は言霊が生きているという。悪意を持ってつぶやかれた言葉は心を傷つけるし、無視や無関心は集団生活を尊ぶ人間にとって簡単に孤独においやってくれる行為だ。ヒスイの感じた痛みもそのたぐいだった。
「……嫉妬は?」
 しないのか、とヒスイは問うていた。自分の好きな人が自分以外の人間のことを好きで、それを許せるものなのかと思った。ひょっとしたらレイガは本気でコゥイのことを好きではないのかも、と。
「あなたに対して? そうねぇ、自分でももっと嫉妬するかと思ったわ。でも違ったわね」
「なぜだ……?」
 後ろを向いてヒスイは尋ねる。レイガの声は、先ほどから思っていたけれど少し遠い。こちらに背中をむけているせいかもしれない。ヒスイが少し風を動かすと、先ほどよりもっと明瞭にレイガの声が届いた。
「だって、あなたは決してコゥイの手に収まる女じゃないもの。あなたたち、本当によく似てるのよね。愛して欲しいと訴えているくせに、他人の手を拒み続けて自ら一人になろうとする。孤独をなにより厭っているくせに。そういう自虐的な真似をするあたりなんか、そっくり。コゥイはあなたの中に自分と同じ匂いを嗅ぎつけたから、あなたを愛したのよ」

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翡翠抄 −ひすいしょう−
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