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翡翠抄−ひすいしょう−

第五章第四節第一項(105)

 攻防

 船の戦い方には二つの方法ある。
 ひとつは砲撃戦。大量の砲を積んだ戦列艦を最大限活かして戦う方法である。戦略もさることながら、火薬や砲台、船の性能によるところが大きい。もうひとつが白兵戦だ。敵の船に近づき、乗り込み、剣を交わし矢を射かけ。つまるところ人と人で戦う。陸で行う戦い方をそのまま船に持ってきた方法だといえよう。
 海で行われる戦闘が砲撃戦主体に切り替わっていくのはまだ二十年以上先の話。
 この時代、白兵戦が海戦の主軸を握っていた。

 1.

 寝ぼけ眼で走ってきたレイガに、ヒスイは手を振る。彼はヒスイの側まで来ると、肩で息をしながら立ち止まった。被っていた頭巾も落ちている。髪はくしゃくしゃに乱れていた。本当に昨日の「女性」と同一人物とは思えない化け具合だ。
「よかった、起きてくれて。どんなにしても起きないと聞いていたから……」
「……お前が、普通に、耳元で怒鳴ったんなら、さっきの台詞でも起きる自信はなかったがな……」
 息も絶え絶えである。顔を上げ、呼吸を整えにかかっていた。そうやって太陽の下で見るとレイガは随分と白い肌をしていた。が、アイシャのように地肌が白いのではなく――いや、もちろん地肌もある程度白いのだが――太陽を浴びていない、「なまっちろい」といわれる肌の白さである。先ほどの島の青年はヒスイが褐色の肌を持たないことに随分と敏感になっていた。
 額に軽く汗をかきながら、暗がりで見るよりはっきりとした青と茶の瞳がヒスイを見る。
「お前、魔法を使ったろ。おれ様は昔っから魔法の絡んだ事象にゃ敏感なんだよ」
 ヒスイは目を瞬いた。たしかに今、風を使ったが、それを「魔法」という表現をされたのはもしかすると初めてかもしれない。
「あれを、お前は魔法と呼ぶのか」
「あん? ……ああ、悪い。精霊を使う奴はあれを魔法っつー概念で捕らえてないんだよな。おれはそういう名称で覚えたかんな」
 がりがりと頭をかいた。
「しかも咄嗟だったから音量調節、間違えたろ? おれは寝台から転がり落ちたぞ」
 随分と大きな音となってレイガの元に届いたのだという。確かに、調節する暇などなかった。が、本当に今はそれどころではないのだ。調節を間違えていようがいまいが、今はレイガが起きてくれたそのことに感謝する。彼が被った迷惑は二の次だ。
「本当にコゥイが呼んでいるんだ! 急いで船に向かうといっていた。お前を起こせと頼まれた。他にはなんの説明もされていない」
「……船ぇぇぇえ?」
 レイガは首をひねったが、それでも思うところがあったのだろう。極端に垂れ下がった寝ぼけ眼の奥に光が宿った。くるりと方向を変えると、側にあった椰子の木に足をかける。
「レイガ? 海はあっちだぞ?」
「んむ。まず状況をみないとな」
 もう片方の足をかけ、幹を掴んで、レイガは木に登り始めた。彼が着ている服はとても運動に向くような体にしっかり沿ったものではなく、だぶだぶの、それこそ足にまとわりつきそうなものである。それでもレイガは器用にのぼっていった。頭脳労働者だと外見から判断していたが、思った以上に彼は体を動かすこともするのかもしれない。
 ヒスイはそれを見上げて……そして、自分も椰子の木に腕をまわす。念のため、木々の周囲を見渡した。誰もいない。
(大丈夫……だろう)
 しばらく誰も通らないことを祈った。巻いた服の裾を少し広げ、両足の間にゆとりを作る。裾の中身を気にしながら木にしがみついた。大丈夫だ。誰も見ていない。下から覗かれる心配はないだろう。足首に負担をかけないよう、膝でしっかり幹を挟みこんで体を上に押し上げた。腕と膝の力だけでのぼりきった。
「レイガ」
 てっぺんにいる先客に声をかけると、ほとんど表情の動かない顔がこちらを向く。
「その足で、どうやって来た」
「普通にのぼってきたに決まっている。ところで、一体何をする気なんだ?」
 レイガは顔色ひとつ変えないまま、先ほどまで顔を向けていた方向を指さした。
 その向こうには海が広がっていた。植物の生い茂った緑の帯の向こうに広がる白い砂浜。青いインクを垂れ流したような、鮮やかすぎる色した海の上には大きな船と小さな船がたくさん散らばっている。
「……あれが……」
 あそこにコゥイがいる。
「あれが北の浜。ここはな、群島のひとつなんだ。この周辺にある大小の島はみな同じ火山活動で生まれたらしい。本島はうんと向こう。そう、北西の方角にみえる白いのだ。ここからじゃ見えないが、その遙か北に大陸が広がっている。おれや、おそらくお前がいたところがその大陸だ」
 海の風がヒスイの黒髪を梳いていく。べたべたと潮気を含んだ、磯の香りのする風。それでも強い日差しがある程度乾かしているせいか不愉快な気はしない。ヒスイが今まで旅してきた各地は大陸だったのだと改めて理解を深める。そして、ここはそれとは違う場所なのだということも。
「大陸が、敵なのか……?」
「……。ここは長い間、誰にも知られていない場所だった。航海術が発達してからの島の発見だったからな」
 海の上では、大きな船の周りに小さな船が波で寄せられたように集まっている。群がっているようには見えない。それは小さな船の数がさほど多くないせいだ。矢が飛びかっているのが肉眼でもはっきり見える。
「大陸の人間がいうには、この島は発見者の所有すべきものなんだとさ。島民たちにいわせれば、発見もなにも、昔からここに島は存在していたという。いまさら誰の所有でもないだろう、と。どっちが理に適ってる?」
 最後の台詞はヒスイに対する問いかけだった。考えるまでもない。島の人間のほうが正しい。島には島の生活があり、島民達にいわせれば今まで暮らしていた島を、生活を、「侵略者」のいいようにさせる筋合いはない。
「……ここにはここの生活があること、どうして分からないんだ……」
 唇を噛んだ。だが、それでも悲しいことにヒスイにはわかってしまう。大陸の人間が考えていることが。彼らにとっては自分たちが見つけたもの……おそらくは苦難の果てに発見した「宝物」という認識で島を見ている。所有するのが当然の。だから島は自分たちのもので、そこにいる「よそ者」にはよそに移ってもらいたい。
 だから島民は戦っているのだ。自分たちのふるさとを守るために。戦わざるを得ない。納得していたらレイガがのんきな声で幻想をうち破ってくれた。
「と、いうのがそもそもの始まりだったんだがな。当てつけに島の人間がここしばらく海賊行為を繰り返してたからなぁ。その報復に来たんじゃねえの?」
「……。わかりやすい歴史の説明をありがとう……」
 そういう結論は先にして欲しかったと思うのは何か間違っているだろうか。握った拳が小刻みに震えた。

 その間にも、遙か向こうに広がる海上では船同士の戦いが次第に激しくなっている。
「ヒスイ、ちょっとどいてろ」
 葉っぱの生い茂る部分を足場に、レイガはしがみつくのをやめて両手をあけた。両方の手で複雑に印を切る。
「天空にしろしめす光の魔法陣……」
 レイガが言葉を……言霊を紡ぎ始める。大きな力が彼の指先に集まってくるのをヒスイは肌で感じた。大気が震える。どきどきと心臓が鼓動を打つ。恐怖からではない。命が生まれるのを今まさに見ているような、不思議な高揚感。大きな生命力の卵とでも呼ぶべき「何か」が複雑に印を描く指先に作られていく。
 ヒスイは、先ほど違和感を覚えたレイガの台詞にやっと得心がいった。『おれはそういう名称で覚えたかんな』。精霊を使って起こす不思議な力のことを「魔法」という名前で覚えたといった。それは彼がどこかで「魔法」という教育を受けたことを物語っていたのだ。魔法は普通の人間には使えない。レイガはその数少ない魔術師だということか。
「天と地の盟約に従い……以下省略。我、麗雅の名において命ずる。波間に浮かぶ小さな木の葉に堅固な守りの力を!」
「その『以下省略』ってのはそれでいいのか!?」
 思わずつっこみをいれた。しかし呪文は完成したようで、レイガの手の内にあった大きな力が解放される。目に見える大きな変化はない。だが、先ほどの言霊の内容から守りの力が小舟にほどこされたことはなんとなく理解できた。
 つい見た目が派手な呪文に目を奪われがちだが、本来、魔法というものはこういう使い方をするものだ。敵に気づかれず味方を有利にする。どこでどういった魔法力が働いているのか分からないから魔法は恐れられるのだ。
「これで一応の時間稼ぎはできるはずだ。よし、降りるぞ、ヒスイ。先に降りろ」
 いわれて、ヒスイは幹にしがみついていた手を放した。降りるというより、落ちる方法だ。レイガが目をむいたのを見ながらヒスイは足から落ちていった。怪我していない方の足を軸に、ヒスイはなんでもないことのように地面に降り立つ。もちろん顔は上を……レイガのいる位置を見たままだ。足下などわざわざ確認しなくても、先ほどのぼってきたときと同じなのだから。
 木の上ではレイガがぽっかり口を開けていた。
「驚いた。風使いってのは、そーいうことも出来るのか……?」
「……まぁな」
 精霊がごく当たり前の顔して昼寝しているような環境に身を置いていたせいか、こういうことで驚かれるのにヒスイは慣れていない。亡き父はヒスイに生き残る方法を教えてくれたが周囲から浮かずにすむ程度の常識は教えてくれなかった。実際、そんなものを教えている暇があったらひとつでも多くの実戦技術を叩き込む方が先だったのだろうが。
 レイガもまた、するすると椰子の木から降りてくる。
「ふむ。おれ様はこれから船に行くが、お前さんはどうする? 獲物は何が得意だ?」
「弓を……。が、この足とこの手首では、はなはだ心許ない」
 足をねんざでやられ、利き腕の手首は昨日コゥイに掴まれた痛みがまだ残っている。しいていうなら足首のねんざよりは手首のほうがまだ軽傷だった。
「風使いの特技だけか。だが、ないよりはましだよなぁ」
 視線だけで、来るかと問われる。ヒスイは頷いていた。一人で留守番などまっぴらだったし、コゥイには借りがある。レイガもそれに答えて頷きかえした。そして、つま先で地面をけずって線を描いていく。簡素な円を作った。いびつな円だ。ヒスイは何もいわれない間にその円の内側に入った。おそらくは何かの魔法。レイガが同じく円の中に入った。
 呪文を唱えないうちから再び、何か大きな力がレイガの周りに収束していく。俗に魔法使いと呼ばれる職種は、人間だけが使える魔法を使うのだという。この「世界」から直接不思議な力を引き出して言霊によって操るのだと。ヒスイのように精霊を通じて風を使ったりするよりもはるかに応用範囲が広い。その分、習得するのは恐ろしいほどに困難のはずなのだが。
 背中を向けたままレイガがいう。
「さっきの、な。あれ、ちょっと嬉しかった」
 彼はまだ呪文を唱えてはいない。さっきのあれとはどれのことだろうか。ヒスイは何もいわなかったが、とまどいは空気に混ざって伝わったようだった。
「……惚れた男は自分で助けろってやつ。一応こういう性癖は偏見もたれるのが普通だと思ってるからな。なんか、お前さんがいうと普通の片思いみたいに聞こえて、嬉しかったぞ?」
 ヒスイは少し驚いた。こういっては失礼だが、レイガのような人間は他人の目など気にしないタイプかと思っていた。ヒスイの周りには他人の迷惑顧みず己の思うようにだけ生きている人種が多かったので……代表が誰かと尋ねられたら真っ先にとある妖魔の名前を出すが、それでなくても母やレンカもそういうたぐいの性格だった。そしてヒスイは振り回される側の人間だったわけだが。
 意図したわけではなく、ぽつりと呟きが自分の口からこぼれる。
「常識的な見方ができる人間が、非常識に振る舞う方が神経使うんじゃないのか?」
「さてね。おれ様は素のままでも十分、常識からはずれていると思うがね。そうでなきゃ……」
 そこから先は聞き取れなかった。けれど自嘲の混じった声音はわかる。
 何か触れてはいけないことに触れたのかもしれない。彼の声に混じった小さな痛みをヒスイはわざと気づかない振りをすることで受け流した。おそらくは気づかれたくないことであろうから。
 一瞬の間を置いて、次にレイガの口から鮮やかに飛び出したのは呪文。
「麗雅の名において命ず。地につけし足を一飛びに望む場所へ」
 魔力の発動による光が地面に描いた円に色を付けた。まるで下に光源があるように天に向かって光り始める。
「紅衣の元へ我らを運べ」
 足下からの光が天をさして、まるで光の柱が屹立する。
 コゥイの名前は「紅衣」と書くのかと、ぼんやりとヒスイはそんなことを思った。

   *

 船の上で。コゥイは曲刀を振るっていた。彼に近づく人間は例外なく血柱が噴き上げる。コゥイは今日で何人目か分からない「白い人間」を切り裂いて海に蹴落とした。
「今日は数が多いな……! おら、テメエら、とっとと死にくされ!」
「コゥイ……お前、それじゃまるで悪人の台詞……」
 隣で戦うアジロが引いていく。
 アジロとは比較的うまがあったが、共に戦うときはやや頼りない。島の人間はみな基本的に善良な人間だ。大陸の人間に恨みはあれど、他の島と比べて直接的な実害を受けたわけではない。だからだろうか、コゥイの目からみるといまいち戦い方が生ぬるい。
 コゥイはこの島の出身ではない。
 褐色の肌に黒髪という南方人の特色は持っているから、ここら一帯のどこかの出身なのだろうとは思う。だが彼らのように縮れた髪ではない。これは大陸の血が混ざっていると考えればまだ納得がいく。けれどもうひとつの特徴、真紅の瞳はどこから来たのかわからない。もしかしたら自分に混ざっているのは大陸の血ではなく魔物の血かもしれない。そんな詮無いことを考えた夜は数え切れない。目の前で増えていく屍の数を数えていられないように。
 また血しぶきをあげる。大陸の人間の青い目がこちらを恨みがましげに見ていた。さらに近づいてくる別の敵に向かって、死体を蹴飛ばして押しつけた。左腕を失ってから足癖はかなりよくなったかもしれないとコゥイは戦いの最中、笑う。
「火矢を射かけろ! 帆を焼け! 近づきすぎるなよ、巻き添えくらうぞ!」
 親を知らない。育ててくれた特定の人間もいない。気が付くと盗んで食っていた。いつからコゥイと呼ばれていたのかもはっきり覚えていない。そのころの名の綴りは紅異だとか紅夷と書かれた。これがお前の名だといったのは誰だったか。のちに、異は「ことなる」、夷は「よそ者」という意味だと知る。
 その意味が嫌いで、それからは好んで赤い衣を身につけた。紅衣。自分で名付けた。

 混戦模様の最中、光の柱が屹立する。

 まばゆいばかりの光がコゥイの乗った船に現れた。島の人間も大陸の人間もその一瞬、その光に目を奪われる。
「へっ、やっと来やがったか」
 コゥイには誰が来たのか分かっていた。寝入りばなですぐ叩き起こせるとも思えず、もう少し時間がかかるかと思っていたのだが。
 光が徐々に収まって、その中心部に濃紺の長衣がはためいているのが見える。その後ろに人影も。それが誰だか認めてコゥイは目を点にした。光の中心部にいたレイガは無表情のまま、それでも早々にコゥイの姿を見つけて片手をあげた。
「よう」
 その後ろから翠の瞳がひょっこり顔を出す。
 コゥイの頭の中で血管が何本か切れた気がした。
「『よう』じゃねえ! テメエ、よりによって戦場にヒスイ連れて来やがって、何考えてやがるッ!!」
 大きな罵声によって全員の目がヒスイ……島の衣装を身につけた大陸の女に集中した。

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