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翡翠抄−ひすいしょう−

第五章第一節第二項(094)

 2.

 勢いの良い焚き付けの炎は薪(たきぎ)へと移り、安定した明かりをともす。火は光と熱を与えるものだ。その暖かな熱にヒスイは手をかざした。
 老人は、ずだ袋の中から羽織るものを取り出し寄こしてくれた。ヒスイはそれを受け取ると折り畳んで尻の下に敷く。体も十分寒かったけれど、それより地面の下からくる冷えがつらかったのだ。老人は特になにもいわなかった。ヒスイの行動など読めているかのように。

「で、さっきの話の続きだけどもな」
 老人は炎を見つめ、ヒスイは老人の顔を見つめた。
「あらかじめ十六になったらこっちの『世界』に飛ぶように定められていたといったろ? お前さんの……予言の星の特殊能力がどうしても必要だった女が二人いた。妖魔の長サイハと月の女神ソウジュだ」
「……? 神様なんてものは、実際には存在しないと……」
「だろうな。そういわれていた。表向きには誰も知らない、ただ一人生き残っていた女神が月だ。お前さんも間接的に知っているはずだぞ。銀の天使と呼ばれる存在を」
 ヒスイはやや目を見開いて驚きを顔に表す。
 銀の天使なら知っている。両親が夢の中で出会ったとき、その導き役になったのがその銀の天使だ。聞くところに寄ると母親にうり二つの容姿、背中には白い翼、そして母と違うのは銀色の髪。母が幼い頃に亡くなったという祖母が銀髪だったから「最初は母親が化けてでてきたのかと思った」とサラがいったこともある。
 この年になってやっと銀の天使の名前を知ることになるとは。
「……それが月の女神だというのか」
 ヒスイの言葉に、老人は頷くことで肯定する。
「月の女神は、お前さんが生きていた時代にゃ妖魔の長の虜囚となっている。つまり月の女神と妖魔の長は既知というわけだ。二人の女はそれぞれの事情から予言の星を欲していた。サイハは偶然を待った。ソウジュはそれを作ろうとした。彼女だけはそれが可能だったからな」
 作る。命を。
 直接的な言葉にヒスイの体は固くなる。
 予言の星はヒスイのこと。……作る、とは。では、両親が二つの世界を越えて出会ったのは偶然でもなんでもない、と。いや違う。最初から偶然などではなかった。二人が巡り会ったのは銀の天使あっての出会いだった。始めからその女にすべて仕組まれていたというのか。
 噛みしめた奥歯からこすれる音がもれる。老人はそれに気づかないのか、はたまた気づいていてわざと知らないふりをするのか、また言葉を紡いでいった。
「時空間移動能力は予言の星だけの特殊能力だ。が、時間はこえられないが異空間を移動することなら月の女神にもできる。月の女神にしかできんというべきか。ただし、かなりの制約が付くがな。こっちの世界のものを向こうには持ち出せんし、向こうの世界のものを持ってくることもできない」
 だからお前の母親をこっちに連れてくることはできなかった、と老人はいう。両親が出会えたのは月の支配が強くなる夜の間だけ。それも夢というあやふやな場所でしか出会えなかった。この世の不可能を可能に出来る神とはいえ、この「世界」の不文律には叶わなかったらしい。
「……だが私は、紛れもなく父の胤(たね)だ」
 何一つ持ち出せない、持ち込めないなら、自分はなんなのか。
 対する老人の言葉は実に端的だった。
「体の中に隠せば持ち出し可能だ」
 なるほど。そうだろうとも。ホウの体の中からサラの体の中へ、ヒスイは着床することによって異世界を越えたわけだ。
 そして、かの老人は淡々と、おそらくはヒスイがもっとも聞きたくない言葉を実にあっさりと告げる。
「お前は始めからソウジュに計算されて誕生した。高い確率で予言の星を産んでくれるだろう男女を引き合わせることによって。二人の間に恋が生まれてお前が出来たのは嘘じゃない。そして、その裏にソウジュの思惑があったのも嘘じゃあ、ない」
 ヒスイは歯を食いしばった。今度は歯ぎしりの音がはっきりと漏れる。
「……デザイナー・チャイルド……!」
 あらかじめ遺伝子のかけあわせを想定されて作られた子供。試験管で生まれるのとどんな差がある。
 自分は自分である。この体も精神も、他人にどうこうされるのはまっぴらだった。それなのに、この自分は生まれる前にあらかじめ他人によって故意に定められた命だったと来た。冗談ではない。身勝手な話だ。必要だったのは「ヒスイ」という個人ではなく、その個人になる前に「予言の星」という道具。一つの命を道具扱いするとは、命をなんだと思っているのか。
 憤るヒスイに、老人はのほほんとした声で頬をかいた。
「そう怒ることでもないと思うが」
「なんだと?」
 ヒスイの声は剣呑だった。老人は、しかし、動じない。
「やってることは家族計画で子供を作るのと変わらんじゃろ? 他人の計画だろーが画策だろーが、母親に望まれ、父親に愛されて育ってきたと聞いてる。ましてお前さんの両親は幸せだったんだろーが。どこに不満がある?」
「大ありだ!」
 ぴしゃりと言い切った。
「……。ま、いいけどな。それがお前さんだから」
 老人はそうつぶやくと黙り込んだ。彼が何をいいたかったのか片鱗だけは分かる気がする。人の命が道具扱いされるのは普通のことだった時代もまたあるからだ。小を殺して大を取らねばならないときもある。その場合の小とは身分の低い者だったりした。身分制度ほどヒスイからみて馬鹿馬鹿しいものもないが、その時代に生きる彼らにとっては命よりも重いものなのだ。理解はできないが、知識としては知っている。
 ヒスイは気づかなかった。老人が、ヒスイの性格を知っているような口振りであったことに。自分が作られた命であることへの憤りの方が大きかったのである。
 きつい翠の瞳を向けて、ヒスイは低い声で聞いた。
「サイハと、そのソウジュという女が私の力をほしがっているといっていたな。何のために?」
 老人はすぐには答えなかった。たっぷりの間を空けた後、
「それはいえん」
 という。これには驚いた。
「なぜだ……? 理由までは知らないのか……それとも語れないことなのか?」
「焦らんでも、お前さんはいつか知ることになる。それまでその質問はとっておくといい。今、胸に抱いているその怒りとともにな」
 老人はあくまで答える気がないとみえた。そして、おそらく知っていて答えられないことなのだろうということも。ヒスイの未来に用意されていることは語れないということなのだろうか。たしかに、老人が語ったのはすべてヒスイの過去に関することだった。
 薪の火はいつの間にか勢いを増していた。それにともない、老人の顔をふちどる影も大きくなったり小さくなったりと激しく揺れる。老人はまた炎の中を見つめた。
「お前さんはまず自分の力を自覚せにゃならん。放っておくとその力はお前さんをとんでもないところに連れていく。だから誰かが教えにゃならんかった。……子供の頃は、危険だというんで月の女神がお前さんの力を封印していたからな」
 老人は子供の頃といったが、それはこちらの世界で成人である十六まで封印が施されていたということと理解できた。ということは、封印が解かれたあとはいきなりこの「世界」まで飛んでいたということになる。
 その危険性にヒスイは改めてぞっとした。
 いわれるまで気づかなかったが、時間と空間を飛ぶということは、自分がどこへさまようか分からないということだ。
 今、ヒスイは力を暴走させている最中だとも目の前の老人はいった。この老人が告げてくれなければひょっとして、誰にも会えないままに時間の流れを一人さまよっていたかもしれない。ヒスイに告げるためにここで待っていてくれた老人に感謝すらした。
 が、しかし。同時にわき起こる疑問。
「……ご老人。誰が、私がここに流れ着くことを貴兄に教えた……?」
「んむ?」
 そこでやっと老人はヒスイの方を向いた。老人は自分を遠い未来の人間だといった。では、一体誰がこんなに詳細にヒスイのことを語り、そしてヒスイが現れる時間と場所まで老人に伝えたのか。現れる時間などはあらかじめ分かるはずがないのに。
 ヒスイが答えを待っていると、老人はいきなり体を揺すって笑いだした。
「ご、ご老人……?」
「いや、いや。誰が、ってことは、該当する人物に思い至りもしないわけだな? まったくしょうがねぇなぁ」
「……ご老人」
 悪かったな、という意味をこめていったのだが、老人はヒスイの目の前で大きく手を振る。違う、と。ヒスイのことではないのだと。
「当時のあれは、よっぽどお前さんに信用してもらえてなかったんだなと思っただけだ。……いるだろが、ほれ。お前さんの近くに、未来を見通せる妖魔のチビが」
「トーラ!?」
 ヒスイは思わず刮目する。驚いた。本当に驚いたのだ。
 たしかにトーラは未来の一部を見通す。しかし、ヒスイが覚えているのはいつまでも甘えっ子で形(なり)は大人のくせにいつまでも子供らしいところのある少女だった。ついでにいえば、この老人との接点など見当も付かない。
 老人の言葉を疑うわけではないが頭から信じることも一瞬できなかった。そのときである。老人は手を袖の中に一度ひっこめ、何かをまさぐったかと思うと次にヒスイの目の前で手を開いて見せた。
 澄んだ金属音を立てて紫の光がこぼれる。
 老人の指には金属の短い鎖が絡みついていた。鎖の先にぶら下がっているのはマーキスカットの紫水晶。知らないものが見ればそれは首飾りの一部か何かだと勘違いしたかもしれない。アーモンド形の瞳を縦に置いたようなその形、その紫水晶の色。ヒスイが見間違えるはずがなかった。
「トーラの額飾りだ……!」
 老人はその答えを満足げに聞いていた。老人の表情は相変わらず読めないが、かの人がまとう空気がヒスイにそれを伝える。
「父親を亡くしたばかりのお前さんがこの時間、この場所にやってくるから、と。今のお前さんは危ないから、よけいなことはいわずに最低限のことだけ教えてやってくれと。それが遺言だった。詳しいことは省略するが、その遺言を最終的に受け取ったのがわしだ。この額飾りと共にな」
 と、手にした紫水晶の飾りを持ち上げる。
「……。ということはまさか、あなた……?」
 可能性のある一言をヒスイは言い出せなかった。
 老人は黙っている。ヒスイの言いかけたことを察し、その上で肯定しているようでもあり、否定しているようでもあった。
 ヒスイもそれに倣うように沈黙する。なにより老人がいった遺言という言葉が重くのしかかった。本当にこの時代ではトーラはもういないのだ。改めてそれを強く思う。トーラは仲間の中で一番年若かった。一番長生きしていていいはずなのに。
 無邪気な顔で微笑むトーラの姿を思い出す。
「……あの子は幸せだったのか?」
 聞くのは反則だろうと思ったが聞かずにはいられなかった。いくら先のことを見通すといっても、最後までヒスイのことを案じ、頼んでいった彼女の心境はどんなものだったのだろうか。そして、それを忠実に守ってくれたこの老人も。
 老人は手の中の紫水晶を再びしまいこんだ。
「そうさな。それはいずれ本人に聞いてくれ。わしには分からん。ただな。あれは、自分の死をかなり早いころから予言してた。自分は自分の生に満足して寝台の上で消えるのだと。それで十分だと……本当の臨終のときに何を考えていたのかは知らんがな」

 その声音は相変わらず静かで。ただ、それまでの軽やかな響きだけが声から除かれていた。
 ヒスイは気づいた。老人が、その袖の中で拳を握りこんだことを。
 そこに何が握り込まれているのかなど考えるまでもなかった――。

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