1.
語り終えた彼は大きく息を吐いた。
サラは彼の手を握りしめていた。……長い話がようやく終わったことを彼の態度から知る。物語は数日に及んだ。なにしろこの空間にいられるのは一日のうちほんの数時間しかないのだから。最初の謹慎日から数えてもう一週間が経っていた。「軽蔑するか?」
「何を?」
サラはそう答えた。彼女には彼は何も悪くないと思えた。
「同性の恋人がいたこと? それとも王妃様を謀っていたこと? それともそれが起因している事件で二人を裁いたこと? それを罪だと思っているのか。お前の国の人はもう許しているじゃないか」
ホウは首を振った。眉をひそめているのだろうか。それとも泣きはらした赤い目をしているのだろうか。サラには彼の気持ちが分かった。許して欲しいのではない、責めて欲しいのだ。お前のせいだといわれたいのだ。
「どうしてそこまで自分を苛めなければならない? ……いっておくが、私の世界では同性愛者に対する理解はお前の世界より遙かに進んでいるぞ。王妃と結婚したんだって……」
そこで何かがちくんとひっかかった気がしたが、先を続ける。
「お国大事で何が悪いんだ? 王様とはそういうものだろうが。それに関しては全面的にその王妃さんとやらが悪いぞ。あげくのはてにすぐばれるような火遊びに手を出して……自業自得じゃないか。お前は、あのとき正しいと思ったのだろう」
いつまでもうなだれている黒髪の主の顔を、両手で持ち上げて見上げる。
「お前はちゃんと信念を持って裁いたはずだ。後悔なんかするな。お前は仮にあそこからやりなおしが出来るとしても同じ事をしたはずだ!」
紫の瞳がきつい輝きを帯びた。
その瞳に気圧されるように、ホウがひるむ。
「……正しいと思っていた……」
「だろう」
「だが……正しいことがすべてだとは限らない……」
それもまた真理。今度はサラが困ってしまった。ホウは心の迷宮に入り込んでしまったようなものだ。何をいっても届かない。どうしたらいいのだろう。
どうしたらいい?
どうしたら泣きやんでくれるだろう。
サラは、彼の両の頬に当てた手をずらして首の後ろに回した。そのまま腰を浮かし、膝で立って、ホウの髪を梳(す)くようにして頭を抱きしめる。昔から泣く子には抱きしめてキスと相場は決まっているがやはり先人の知恵は偉大だ。思わぬところで胸に抱きすくめられる形になったホウは先ほどまでの湿っぽい空気はどこへやら、緊張で体を固くしながら上擦った声で彼女に窺いを求めてきた。
「サ……サラ?」
答えはない。
「泣いているのか?」
「……怒ってる」
「!」
サラの腕の中で彼が狼狽するのが分かった。なんと声をかけるべきか分からずうろたえ、手は落ち着きなく動く。しかし彼の頭はしっかりサラが固めているから体はそれ以上動きようもない。サラはぽつりとつぶやいた。
「自分に怒ってる。お前が……泣きやんでくれないから」
抱きしめる手に力を込めた。彼の滑らかな黒髪の上に金髪がこぼれ落ちる。どうして彼が泣くと自分が嫌なのか、それすらサラは気付いていなかった。
「あなたは優しいな」
胸の上で苦笑混じりの声があがった。
「優しい? いいや。優しいのはお前だ。お前のおかげで私も優しくなれる……」
人の優しさに気づける人は優しい。だとしたら確かに自分は優しくなっているかもしれない。抱きしめた髪にキスをした。彼の痛みが自分の痛みのように感じられる。だから癒したいのかもしれない。
ホウは、不安定なサラの体勢を支えるように彼女の腰に手をやった。おそるおそる回された手は大きかった。
「私はあなたほど強くない」
ホウがつぶやいた。腰に回された手に少し力が加えられる。その力にサラは逆らわなかった。……すとん、と彼の腕の中に収まった。腰を下ろしたことで間近に白い仮面と向き合うはめになる。
「私も……なれるだろうか、あなたのように……?」
サラのように強く。ホウの優しさがサラに分け与えられたというなら。
「なれるさ」
「もう一度、誰かを信じることも出来るだろうか?」
返事の代わりに頷いた。
ホウはサラを強いという。だが彼女は自分で自覚していた。サラの強さは時として他人を傷つける。
ホウは痛みを知るが故に弱くなり、サラは痛みを知らぬ故に傲慢だった。
今は互いに互いの弱点をほんの少し必要としていた。
「もう一度、誰かを愛することも?」
その声はわずかに震えていた。
「出来るさ」
その意味を深く考える間もなくサラはそう答えていた。ホウの纏う空気がほんの少し柔らかくなった……気がした。
お互いがお互いを抱きしめ合う形になってサラの心拍数が徐々に上がってゆく。……どうも、調子が狂う。
満足に相手の顔を見ることが出来ず下を向いた。
「……ちょっとじっとしていて」
「えッ」
サラは反射的に身を固くする。ホウの手が一旦離れた。頭の上で何か、小さな金属音がした。彼の左手がサラの背中を支え、それからホウは前のめりになってきた。
「ち、ちょっと?」
サラの後ろ、サイドテーブルの上に何かを置く音がした。なんのことはない、今の体勢でテーブルに物を置こうとしたら無理な姿勢になってしまっただけだった。
「何を置いたんだ?」
「仮面を外した」
罪の証といっていたもの。サラはちょっと驚いた。
「いいのか? ……その、勝手に外しても?」
「いくらなんでも眠るときは外しているよ」
それはそうだ。少し考えれば分かることだった。ただ「眠る」という直接的な単語に過剰ぎみに反応してしまう。心音が大きくなったのではないかとさっきから心配していた。
おそるおそる、サラは顔を上げた。……だが。
***
窓の外では小鳥の声。
目の前には見慣れた寝室の天井。
サラは紫の瞳をこれでもかというくらい大きく見開いた。夢の時間は終わったのである。銀の天使は相当意地悪であったらしい。
「ば……」
そして彼女は上体を起こし、指が白くなるくらい布団の端を握りしめて、数キロ先の隣家に響くような声で叫んだ。
「馬鹿――――――――――!!」謹慎期間終了まであと三日。