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翡翠抄−ひすいしょう−

序章第三節第二項(008)

 2.

 緑溢れた王宮の中庭にはあまねく光。そこに用意された四阿(あずまや)に腰掛けてホウは緑を愛でていた。その彼に声を掛ける者がいた。
「ホウ」
 ゆったりとした白い法衣をまとってセツロが手を振っていた。その額には細い金の環がまわされている。
「あ、その額の環は……」
「そう、私もやっと正神官だ」
「おめでとう!」
 ホウは目を輝かせ自分の事のように喜んだ。

 歳月が経っていた。
 神官見習いだったセツロはそのまま神殿に、ホウは剣士としての教育を受けていた。それでも二人はなにかと連れ立って行動していた。
 二人とも常に周囲に気を使わねばならない立場だったからだろうか。二人は出会ってすぐ互いの孤独に気付き、その孤独に寄り添いあった。
「ホウも近く昇進試験があるのだろう? なんだ、お前いつまでたっても軍服が似合わないな」
 軍服は黒に金の縁取りで、その上には階級によって色の違うマントを羽織る。ホウの羽織るのは派手な赤いマント。それは彼にちっとも似合っていなかった。
「私もそう思うよ。まだ魔法使いの法衣の方がマシだった」
 実をいえば宮廷魔道師たちはホウには魔法の道を歩ませたかったのだが父親や側近たちが剣の道に進ませた。まるっきり才能がなければ周囲も諦めたかもしれないがホウは剣客としても十分な技量があった。
「損な性分だな、お前も」
 彼は普段、ホウを名前で呼んだ。他の者たちのように「若君」とへりくだらなかった。二人でいるときなどお前呼ばわりまでしてくれる。……それが何よりホウには嬉しかった。
「そういってくれるのはお前だけだよ」
 小さく苦笑する。
 セツロは手を伸ばして彼の頭を軽く叩いた。
「お前、小さい頃からなにも変わらないな。図体ばかり大きくなって……。私のほうが年上なのに、もう背は私を追い越してるじゃないか。ああ、でもいつまでたっても横に肉がつかないな。剣術の教師が『君のその細い体からどうやってあんな激しい剣が繰り出されるのか不思議でならない』と褒めてたって?」
「やめてくれ……」
 子供あつかいされるのを嫌ってホウは真っ赤になりながら伸ばされた手を軽く退ける。
 セツロはそんなホウの様子に目を細めて、からかうようにくすくす笑う。水色の瞳が妖しく光るのにホウは気付かない。
「さあ、胸を張って午後の訓練に戻れ。未来の王様がさぼっていてはいけないんだろ?」
「さぼっているわけじゃない。それに、王なんて……そんなものになんか」
「なりたくない、なんていうなよ? お前が今まで嫌々ながら他人の期待に応え続けてきたのは何のためだ?」
 セツロはホウの背中を押した。
「ほら頑張って来い、坊や」
「っ……坊やって呼ぶのはやめてくれないか。自分の方がちょっと年上だからって!」
 些細なことなのにまた真っ赤になるホウが楽しくて、セツロはそのまましばらくそこでくすくすと笑い続けていた。
「本当にお前は可愛いな」
 くすくすくす
 可愛い可愛い、玩具。
 くすくすくす。
 水色の瞳がやはり妖しく光っていた。

 午後の訓練に戻ろうとすると、またしても彼を呼び止める存在があった。ホウは呼ばれた方向へ首を向け声の主を確認すると軽く目を見張った。
「……義父上」
 ホウの伯父、最後の聖域の王、全ての精霊を統べる長がそこにいた。
「元気にしているか?」
 王は、ひざまずこうとしている甥を軽く手で制してその両肩に手を置いた。結局王には今日まで子供が生まれることはなかった。子供どころか孫がいてもおかしくない年齢である。おそらくはこの先も望めないだろう。その分、王はホウを可愛がった。ホウも実の父親より伯父に対しての方が素直になれた。
「義父上こそ、この時間はご政務のはずではないのですか?」
「なに、あんなところにいては息が詰まる一方だ」
 そこへ割り込む声があった。
「王はね、あなたの顔を見るのが一番の楽しみなんですよ」
 からかいを含んだ笑い声。王の側にオレンジの髪の子供が現れた。その子供はホウを見上げるとオレンジの目を輝かせて嬉しそうに笑う。王は、こら、と軽く子供の頭を叩いた。
「いったー。いいんですか、長があなた付きの精霊を叩くなんて」
 批判がましく見上げてくる炎の精霊に王はふん、とそっぽを向いた。精霊は頬を膨らませ、本当の人間の子供のように非難を繰り返した。ホウは悪いと思いつつも二人の様子に顔がほころんでしまう。こんな微笑ましい情景を繰り広げる二人だが敵と認めた者には容赦しない。真の王者ほど牙の使い道を心得ているものだ。
「ところで王子、あの氷のやつは今いないんですか?」
 あからさまに不機嫌になって精霊がホウに訊ねた。王の実の子供ではないが精霊たちはホウを王子と呼ぶ。
「あの氷のやつ、正式に神官になったそうじゃないですか。いいのかなぁ、神殿は何を考えているのでしょうね。あんな……」
「口を慎みなさい」
 制したのは王だ。だが強く否定したわけではない。
「あの、義父上、彼は本当にいい人なのです。おっしゃるような傾向などありません」
「うん、うん。分かっている」
 聞き分けのない子供をあやすような口調だった。
「彼が氷竜の加護を受けている事は関係ないよ。ようはその人物の人柄だ。彼がお前の支えとなっていることは知っている」
「ならば、何も問題はないではないですか。彼はただでさえ色眼鏡で見られがちなのです。国王までそのようなことをおっしゃるのですか?」
 ホウにとってセツロは親友であると同時に兄のような存在でもあった。子供の頃は彼と一緒になって初めていたずらをしたり大人をからかったりした。大人になってからは先ほどのようにホウが気弱になっているときは叱ってくれたり励ましてくれたりした。己の出生にも屈さず人付き合いの良い彼はいつのまにかホウの憧れで、彼のような存在になりたいと思っていた。
「義父上まで彼をお疑いとは心外でした。午後の訓練がありますのでこれで失礼致します」
 彼は深く頭を下げ、マントを翻して立ち去った。

「……いいんですか?」
「今は誰が何を言っても聞くまい……」
 王は深くまばたきをした。
 確かに炎の精霊を使う王にとって氷の属性を持ったセツロは相性の悪い相手ではあった。その上での色眼鏡といわれても反論はできない。それでも時折セツロが見せる目の輝きが王の心に引っかかっていた。
「取り越し苦労に終わればよいが」
 王の嘆きを聞きつけ風が慰めるように吹いた。歯車は回り始めている。くるくると。


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翡翠抄 −ひすいしょう−
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