十和田茅による30の戯言(27)  (03/05/24更新) [目次に戻る]

 27. 迷い子

 薔薇園は今が盛りだった。

 父は風雅を解する人で、歌舞音曲を好んでたしなんだが、それ以上に愛していたのが薔薇の栽培だった。そんな父の背を見てファーもいつのまにか土をいじりはじめていた。周囲は「お嬢様のなさることではありません」といい顔をしなかったが、少なくとも父と母は歓迎してくれた。

 母は病弱で美しい人だった。血色を失った白い頬、潤む青い瞳、艶やかな金の髪。寝台の上で楚々と微笑む、永遠の少女のような人。ファーとは少しも似ていない。父親の顔立ちとはそれなりに似ているが、父の淡い金髪とファーの雀のような焦茶の髪とはまったく違っていた。ファーときたら、地味な風貌に地味な性格、どこからどう見ても冴えない、貴族らしくない娘。『ご両親はあんなにお美しいのに』と、召使いの間でも小さな噂になるほどに。
 自分は妾の子ではなかろうか、といつしかそんなことを思っていた。
 子供であるファーの目から見ても二人は仲むつまじい夫婦だった。身分の高い者同士の婚姻が決して本人の思うままにいかないことなら知っている。だから、家同士の婚姻を厭った父が母以外の女性を愛したことがあっても不思議ではないのかもしれない。だが、ファーの両親は間違いなく両者の間に愛情をはぐくんでいた。あの二人を見ていると、真実、思い合っているのが分かる。偽りではない柔らかな空気が二人の間に流れるのを肌で感じる。決して情熱的に燃え上がるような愛ではないけれど、心が温かくなるような。
 では。あの両親に似ていない自分は一体、どこから来たのだろう。
 儚げに微笑む美しい彼女をファーは誇りに思っていた。だが、もしかすると自分にはあの人を「母」と呼ぶ資格などないのかもしれない。自分はあの母の血を引いていないのかもしれないと思うと悲しくもあった。それどころか、ファーの存在は母を苦しめているのかもしれない。
 もしも、本当に自分が妾の子供であったなら。
 だったら自分は、母から父を奪った女が生んだ子供なのだ。
 跡継ぎが必要で愛妾の子供を引き取っただけなのかもしれない。母は苦しんだかもしれない、今もファーを見て苦しんでいるのかもしれない。
 推測に推測を重ねているだけだ。
 が、真実を確かめる勇気はなかった。
 もし本当だったら、今度は自分が壊れてしまう。

 薔薇に肥料をやり、土まみれになりながらファーは同じ作業をしている父に問う。
「お父様、今年はあと、どんなお花が咲きますの?」
「そうだなぁ。血の滴るような立芯咲きの真紅、ワインをこぼしたような色の一重、クオータードロゼットの匂うようなピンクの薔薇もそのうち咲くな」
 父親のいう花の半分も分からなかったが頷いた。きっと綺麗なのだろうと思った。ちくりと心の奥が痛む。今日は、もしかしたら母がここにやってくる。薔薇を見つめる父親の横顔を見ながら、会話を紡いだ。
「お母様、今日はお体の調子がよいからこちらにお散歩に来るかも、って」
「へぇ?」
 父親の目が薔薇を離れて、ファーを見ながらちょっと笑う。その顔がファーの目にはとても嬉しそうに見えた。父を微笑ませたのはファーではなくて、会話の中の母。
 ファーには頼れる相手は父しかいない。母との絆がはっきりしない以上、目に見える父との血のつながりにすがるしかない。けれど父は自分より、美しくて儚くて優しい母のほうが大切なのだ。ファーには父しかいないのに。あの人はみんなに愛されているのにファーから父親を取り上げてしまう。母を愛しているのに、その瞬間、一番憎い相手になった。そう思うと、余計なことまで口に出してしまった。
「……お母様はお人形さんみたいね。壊れそうで、綺麗な服を着て、何もできないのにみんなに大事にしてもらえて」
 私はほとんどのことを自分で出来るけれど、誰にも愛してもらえない。
 何もできない人がちやほやされて、世の中はなんと不公平なことか。
 そんな内面の思いが声となって出たのだろう。自然と、うらやんだ声になっていた。父が不思議そうにこちらを見る。……その瞬間、自分がなんと馬鹿なことをいったのかと我に返った。
「ご、ごめんなさい、お父様!」
 叱られる、と思った。何を馬鹿なことをいうのかと。同時に自分がなんていやな嫌味をいう人間になってしまったのだろうと、自分自身が許せなかった。
 父はきっとあきれてしまったに違いない。首をすくめて叱責を待った。
 しかし父は怒らなかった。
「いいや、もっともなことだからな? お母様は一人ではなにもできない人だ。だから余計お前にはなんでもできる子になって欲しいんだよ」
 父の手はくしゃりとファーのまっすぐな髪をかきまわす。
 そしていたずらっぽい目でのぞき込んできた。
「だけどな。まるっきりなんにもできなかったわけじゃないぞ? あの人は金の卵を生む小鳥だからな」
「金の卵? 宝物?」
「そう、宝物」
 父はうんと嬉しそうな顔になった。声をひそめて、とびきりの内緒話をするように弾んだ声で、言う。
「自分の体を損ねてまで父様にお前を生んでくれたよ」
 ファーは目を大きく見開いた。

 父の宝物は自分。
 自分を生んだのは真実、あの美しい母。
 ひとりで迷い悩んでいたファーの手の中には、実は最初から一番大切な宝物が収められていたのだ。
 心の迷宮に迷い込んでいた少女は、やっと出口を見つけた。


 ――薔薇園は今が盛りである。かぐわしい香りが一面に広がっていた。
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