十和田茅による30の戯言(23)  (03/10/05更新) [目次に戻る]

 23. 永遠

「遅いわねぇ。雅也くん、悪いけれどちょっと沙也加に電話してみてくれない?」
「ん」
 僕は、携帯電話の一番目に登録されている従姉のマンションの電話番号を呼び出した。携帯電話を持たない彼女は自宅にいるはずなのに出ない。何度電話しても出ない。
「……締め切り間際、かな?」
 従姉の職業は漫画家。今頃、汚いかっこで部屋に閉じこもって仕事をしているはずだ。担当さんの電話が怖くてわざと出ないに違いない。
「おばさん、やっぱり沙也加さん、つかまらない」
「もうっ。まったくあの子ったら……!」
 沙也加さんは十一年上の僕の従姉。強烈な個性ゆえ周囲と協調できない彼女は、ひとりでできる仕事を選んだ。僕は両親を亡くしてすぐ伯父夫婦に引き取られたから沙也加さんとは姉弟のような……いや、女王様とその下僕かな? それなりに(こきつかわれながら)仲はいい。
「しょうがないな。メール入れとこ」
 カラー原稿の彩色にパソコンを使っているから電源は入っているはずだ。もっとも、あの沙也加さんがすぐに見るとは思わないけどね。
 僕は素早くメールを打った。
『結婚式は今日です。早く来てください』
 今日は遠い親戚の娘さんの結婚式。親族として一応出ないわけにはいかない。
 伯母はあきらめたらしく、僕を促して親族席へと歩き始めた。
「あの、僕、もう少し待ってみます」
 敬語を使う必要なんかないのかもしれないけれど、もらわれっ子というのは気を使うもんだ。伯母だって実の娘がテーブルにいないのに僕だけいるのも、他の親戚に対して気が引けると思うしね。
 伯母はどこかほっとしたようで、しばらく着ていなかった黒留袖の裾を気にしながら歩いていった。僕は制服があるから学ランだ。沙也加さん……どんな格好で来るんだろう。あの人のことだからブラックスーツにサングラスでもありえそうなんだけど。

   *

 沙也加さんが漫画家としてデビューしたとき、伯父夫婦はとても喜んだんだよ。
 が、その後、彼女の描いたものを読んだ彼らは、けっして他の親戚に沙也加さんの職業を口にしたりはしなかった。娘は東京でフリーターをしている、ってね。まぁ、漫画家も安定した職業とはいいがたいけれどフリーターに含めるべきなのかな。沙也加さんはエロくてグロい漫画を描いている。それをどうやら恥だと思ったみたいだ。『職業に貴賤はない』なんて建前だと知った僕だった。
 そんなわけで、親戚のなかで沙也加さんとまめに連絡をとっているのは僕だけということになる。
 僕は締め切り間際、よく呼び出される。
「メシ作れ、ベタ塗れ、ホワイトかけろ。そんな作業も出来んのか、貴様は!」
 朝から晩まで続く沙也加さんの罵声。
 そんなわけで僕は今、トーン貼りの修行中。沙也加さんの数少ないお友達兼アシスタントさんは僕をメシスタントと呼んでありがたがってくれるけれど、実はあんまり嬉しくない。
 修羅場の最中の沙也加さんときたら、それはもう……あんまり形容したくない様相になっている。風呂に入れなくてべたべたの頭、首の伸びたよれよれのシャツ、分厚い眼鏡、トーンかすの貼り付いたジーンズ。しかも微妙に臭い。女という幻想に幻滅するには十分だ。何が悲しくて十七のやりたいさかりに幻想をうち砕かれなければならなかったのか。
 僕が知ってる沙也加さんの姿は久しく、その格好だ。

   *

「やっぱり遅い」
 僕はちらと時計を見る。メールを見ていないのかな。その可能性は大いにありうる。
 もう知らないぞと半分さじを投げて、もう一度ホテル前に視線を移した。花嫁がどうしても式を六月にこだわったため、僕ら招待客は梅雨前線停滞中の中、足下を濡らしながら会場までやってきた。
 と、そこへホテルの真ん前に黄色いタクシーが急停車した。それはもう、とんでもなく早いスピードで飛ばしてきて急に止まったという、随分乱暴な運転だった。水しぶきが盛大に上がる。乗っている人はそんなに急いでいたのかなと思っていると、美女が降りてきた。その瞬間、ぱあっと綺麗なペパーミントグリーンのドレスが雨にけぶった空気の中に広がる。
 あんまり綺麗なひとだったから、一瞬その人が誰であるか感情が拒否するくらいだった。
「さ……沙也加さん!?」
 口をあんぐり開ける。
 仕事中、ゴムでひっつめてぐるぐる巻きにされている髪は今ゆるやかなパーマをあてて背を流れており、分厚い眼鏡はコンタクトに変わっている。飾りをつけたところなんて見たことなかった人なのに今は二連の真珠のネックレスを首にさげていた。女の人って外見でこんなに変わるものなのか……と感心しかけたところへ、美女はペパーミントグリーンのドレスをたくし上げ大股でホテルのロビーに走ってきた。このがさつさは間違いなく沙也加さん。ホテルは走るなと教わらなかったのかな。
「沙也加さんってば!」
「おお、雅也」
 彼女は僕に気づくと、やっぱり裾をたくし上げたまま大股で走ってくる。だから、それをやめろと……。相手が沙也加さんなんだから、いっても無駄なことは分かっているけれど。
「おお、じゃないよ。遅かったじゃないか」
 口から先に飛び出したのは注意の言葉。おかしいな、一番最初に思ったのは「綺麗」の一言だったはずなのに。
「メールしたんだよ。見た?」
「はて? 私は徹夜明けの状態で美容院に行ったんだぞ?」
「……美容院で寝てたね」
 美容師さんが何度ゆすっても起きなくてさぞ苦労したに違いない。そりゃあメールなんか見てないはずだ。沙也加さんはパソコンの前にはおらず、髪の毛をいじくるためだか美容院にいたのだから。
「披露宴には間に合っただろうが? 式は先祖だか神様だかの前で誓約する儀式だからギャラリーはいてもいなくても構わんが、見栄のために行われる披露宴には必要なんだ」
「沙也加さん……。その特異な性格と口調、なんとかしないと本当に嫁のもらい手なんか出てこないよ」
 頼むから、まだ大股で仁王立ちしているのをやめてほしい。せっかく綺麗に取り繕った姿なのに。
「とにかく早くしてよ。披露宴はすぐなんだから」
 と、沙也加さんの手をひきかけて、僕はさっき言いそびれたことを思い出した。
「沙也加さん、今日はとっても綺麗だよ」
 めずらしく化粧した顔は驚いていた。そんなに驚くようなこといったかな。

   *

 披露宴はもう始まっていた。僕らは用意されたテーブルにつくにつけず、披露宴の進行できりのいいところで席に向かうことにした。それまで壁際にふたり立って拍手のまねごとなどしてみる。美女と学生の組み合わせ、うちの親戚はもう諦めるとして、新郎の親戚にはどう見えているんだろう。
「雅也。どうして六月の花嫁が人気があるか知っているか?」
「英語の時間にやったよ」
 沙也加さんは首にぶらさげた真珠の首飾りを指でいじっている。
「結婚の女神が六月の語源だからというあれだな? だが、あれはとんでもなく嫉妬深い女神だぞ。そんな女神に祝福されて、はたして男は嬉しいものだろうか」
 でた。沙也加さん独特の理屈。頼むからテーブルについたあと、他の親戚の前で口を開かないでほしい。
「女の人には嬉しい神様なんじゃないの。旦那さんが浮気するのを推奨する神様よりはさ?」
「だがジュノーの夫たるジュピターは浮気の権化みたいな男だぞ? ただ嫉妬して角出すだけの女神に祝福されて嫉妬深い妻になるのなら、むしろヴィーナスあたりに祝福されたほうが男にとっては嬉しいかもしれん。妻はいつでも美人で寛容。いいじゃないか」
「あのね。男は妻に浮気されるほうが堪えるよ。なんだよ、ヴィーナスってマルスの妻だったり鍛冶の神の妻だったり……ええと、ギリシア神話のヘパイストスって英語読みは何だったっけ」
「バルカンだ。ローマ神話でウェルカヌス。ついでにマルスもローマ神話の読み方で、英語名はマーズ。火星をマーズというだろうが?」
「ごめんね、無学で」
 ギリシア神話ならかろうじてわかるけれど、僕はローマ神話まで把握してませんって。
 どうして女である沙也加さんが男の弁護をして、男の僕が女の弁護をしなきゃならないんだろう。
 沙也加さんが結婚したら多分浮気なんかしないだろうな。この人、もてないもの。沙也加さんのような変な女の人でも付き合ってくれる男の人がいるなら、もしかしたらってこともあるかもしれないけどね。その前に沙也加さんの場合、結婚もあやういと思うな。うちはわりと田舎だし伯母さんは沙也加さんにさっさと結婚しろっていつもいってる。沙也加さんが二十五を数えるまでは見合い写真を色々持ち込んでいたらしいけれど、見合いの席でこういう言動繰り返してたら、そりゃ相手に断られるよね。
 わがままで、がさつで、乱暴で、変で。
 僕くらいだよ。沙也加さんとまっとうにつきあえるの。
「あのさ。僕、来年十八なんだよね」
「そういやそうだったな。日頃の労をねぎらう意味も含め、誕生祝いくらいくれてやろう。何がいい?」
「沙也加さん」
 会話が止まった。僕は前を向いたまま。沙也加さんは視線だけで僕を見た。
「……物好きな」
 沙也加さんは再び前を向いて、そういった。否定の言葉ではなかったことを喜んでいいのやら、物好き扱いされたことを悲しんでいいのやら。確かに自分でも物好きだと思うけどね。
「私は来年、二十九になる」
「そうだよね。三十までに結婚しろって、伯母さんの攻撃が更にひどくなるよ」
「だろうな」
 僕は視線だけで沙也加さんを見る。沙也加さんはまっすぐ前を向いたままだ。
「婿に来るか、雅也?」
 なぜかその言葉に驚きはなかった。
「沙也加さんがよいのなら」
 僕は再び前を向いて、そういっていた。
「悪い理由は見あたらんな。お前は飯もうまいし、アシスタントとしても使えるようになってきたし、私の性格も熟知しているからやりやすい相手ではある」
「そういう理由で結婚相手を選んでよいわけ? まぁ、だからこそ沙也加さんなんだって気はするけどね」

 僕の目は前を見ていたけれど、披露宴の進行なんか見ていなかった。拍手の音。誰かのスピーチが終わったらしい。それにあわせて僕もあわてて手を叩く。ごめんね、花嫁さん、花婿さん。あなた方の祝福にまぎれて、今だけは僕自身を祝福させてください。
 おめでとう。
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 モノカキさんに30のお題( 04.07.10 リンク切れ)----http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8907/mono/index.htm