十和田茅による30の戯言(16)  (02/12/16更新) [目次に戻る]

 16. 涙

 泣くことは負けだと思っていた。

「なんとかいいなさいよ、このブス!」
 思春期の少女たちは下手な大人よりも残酷だ。
「うわー、こいつマジむかつく」
「黙ったままじゃなにも分かんないじゃん」
「あたしらのこと馬鹿にしてんでしょ!」
 ……当然でしょ。

 集団心理は恐ろしい。
 苛められた側は絶対に忘れられないけれど、苛めた側はあんがいあっさりと忘れるものだ。
 そして、大人になったら
「昔、いじめられっこだったんだ」
 と告白できる人はいても、
「昔、いじめっこだったんだ」
 と告白できる女はまずいないだろう。
 それはそうだろう。自分がそんなに汚い人間だと、誰しも親しい人に思われたくはないのだから。

 だけど、ごめんね。私はこの先一生、あんたらの顔を忘れられそうにないわ。

 物を隠されるのは当たり前。
 こっそり壊されているのも当たり前。
 人間は集団を好む生物なので、無視されることは精神的な攻撃となる。
 言葉はすべて凶器。真新しいナイフの傷はすぐに癒されるけれど、古くて刃こぼれするナイフの傷はいつまでたっても痛いまま。
 彼女達の言葉は、さびたナイフに似ている。
 心はいつも血を流していた。
 それでも、暴力沙汰にならないと大人は動かない。

 対応する処世術は、ひたすら物事に鈍くなること。

 これは、彼女達の遊びなんだから。
 本気になる方が馬鹿馬鹿しい。だから怒るな。だから泣くな。感情を全て封じて笑え。

「あいつ、鈍感すぎて自分がハブにされてること、分かってないんじゃないのー?」
「いっつもへらへら笑って気味が悪いったら」
「ちょっと成績がいいからって、頭いいとは限らないよねー」
「あー、あいつ、すっごいむかつく。ねぇ! 皆あいつと口、利いちゃだめだからね!」

 ストレートすぎて笑っちゃう。
 あんたらの考えなんかお見通し。

 本当に鈍いわけじゃない、本当に傷ついてないわけじゃない。だけど泣くことは彼女達に屈すること。絶対に、私は負けない。あんたたちなんかの思い通りにはならない。いつか私が泣いて媚びることを期待しているあんたたちなんかには。

 冷たい目。
「柳さんて、いっつも一人だよね」
 忍び笑い。
「友達いるの?」
 あんたらが全部奪ったくせに。
 そして聞こえよがしの中傷。
「こんな根暗な人に友達なんかできるわけないじゃーん」
 げらげらと巻きおこる爆笑の渦。私の一番嫌いなもの。それでも笑っている自分が滑稽だった。
 泣くものか。

「柳ィ。お前、いじめられてるんじゃねーの?」
 クラスの男子がひとり、いった。口調こそは疑問形。けれど、固く引き結ばれた口が確信していた。
「余計なことしないで、高橋。先生に告げ口なんかしたら承知しないからね」
 ごめんね。
 嬉しかった。
 けれど、男子がかばうと彼女達の態度はエスカレートするの。教師が絡むとまた彼女達がうるさいから。
 黙って嵐が通り過ぎるのを待つ。それまで私は泣かない。
 あいつらなんかに負けないから。

 誰も私を助けてはくれない。それが当然。
 誰も私をかばわないで。助けがさらなる苛めに展開することを私は経験的に知っている。
 人が、私の周りからいなくなる。孤独がなによりも嬉しかった。孤独は私を傷つけない。他人は、中傷も、親切も、私をひどく傷つける。

 誰もいないところに逃げ込めることができたらどんなに素敵なことでしょう。

   *

 卒業まで続いた、あの日々。
 いまでは封印の彼方。

 泣くことなんか忘れていたの。
 自分は強いんだって、繰り返さなければ耐えられなかった。

   ***

「それでも、柳、えらかったよな」
 のちに高橋がそういった。

「ちゃんと毎日、学校にきてたもんな」
 屋台のラーメン屋で彼は日本酒を頼む。私はラーメンに浮かんだゆで卵をつまんだ。
「……高橋と会うのも、ホントは辛かったよ」
「え? あの頃?」
「ううん。卒業してから」
 もう、あの日々を思い起こす全てに会いたくなかった。思い出すきっかけになるのが怖かった。今でもあいつらには会いたくない。思い出したくない。吐き気がするくらい。
 高橋の手が、私の頭の上にポンと置かれる。
「今、泣ける?」

 私は少し考えた。
「きっとね」
 もしもスコールのような雨の日なら、それに紛れて泣き声を上げることができるだろう。今ならば。
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