14. きせき
人の手では作り出せない、地球が生んだ奇跡。
それは、宝石店での小さな話。
世間様はクリスマス。ショーウインドーにはきらびやかな宝石たちが「我こそは」と輝いています。大人達の視線に合わせて飾られるそれらに、小さなレディは魅せられたように目を輝かせていました。それはもう一生懸命に背伸びして。
窓を拭くために出てきた店員は、小さなレディに気が付いて声を掛けました。
「お嬢さん」
ガラスにお手てをついてはいけないよ、と彼はいいませんでした。
「何かお探しですか?」
店員は背をかがめて丁寧に聞きました。小さなレディはそこで初めてガラスから視線をはずし、店員を見ます。フェイクファーの縁取りをつけたコートを着こなす、なかなか愛らしい顔立ちのレディです。大きな瞳とふわふわの髪の毛がまるでお人形さんのよう。
小さなレディはいいました。
「シャーロック・ホームズのお話に出てくる、青いルビーがいつか欲しいんです」
愛らしい声。
あいにくと店員は、その物語を知りませんでした。
「……そういう名前の物語があるんですか?」
「ええ。ご存じありません? クリスマスの物語なの」
店員は小さなレディにお客様としての礼儀をつくしておりましたし、小さなレディもまた大人びた丁寧な口調をききました。それがちっとも嫌味に聞こえないのはレディのレディたるゆえでしょうか。
レディは再び、熱い瞳をショーウィンドーに向けます。
店員は、ちょっと口ごもりました。
青いルビーなどというものはないのです。それは物語のことだけ。
「あの、ですね。お客様」
店員は思わずおかしな言葉遣いになってしまいました。「あのですね」なんて言葉はありません。こういうお仕事をしているときに使うべきではないのです。
小さなレディは、しかし、なおも言葉を重ねました。
「知ってます。青いルビーなどというものはないとおっしゃるのでしょう? それくらい、知っています」
彼女があまりにショーウィンドーに近づいて話すので、ガラスは吐く息で白く煙ります。小さなレディの言葉はとても悲しそうでした。店員はその一瞬、悪いことをしたわけではないのに罪悪感にさいなまれました。それでも小さなレディの瞳は変わらず熱っぽい輝きでショーウィンドーの冷たい宝石たちを見つめています。
「物語の原題は『ブルーカーバンクル』といいます。邦訳されるときに『青い紅玉』と訳されてしまったので誤解されるもとになっているんですわ。紅玉は普通、ルビーの邦訳と思うでしょう」
そのとおりです。
店員は小さなレディをまじまじと見つめました。
「お客様、カーバンクルというと、カボッション……丸く磨いた形の、ガーネットなどに使われる名称ですね」
「そうなのですか。昔の本は『青いルビー』といったのに、今では『青いガーネット』と訳されていますの。まるっきり当て字でもなかったんですね」
小さなレディは顔をあげ、店員を見て初めてにっこりと笑いました。
「それでも。夢を見ることは子供の特権ですもの。私にとっては、あれは青いルビーなの。物語と同じものが欲しくても、まさか本当に青いガーネットなんてものはないでしょう?」
店員は小さなレディが指差す先を見ました。
ショーウインドーの中には、ダイヤの取り巻きの付いた、青いサファイアの指輪がありました。
小さなレディは全部知っていたのです。
コランダムの赤いものだけをルビー、それ以外の色を全部サファイアと呼ぶことを。青いルビーなどという名称はありません。赤くないものは全部サファイア。だから、ブルーサファイアとしか呼ばれないことを。
それでも、物語に出てきた「青いルビー」が欲しいという。
知識は大人並、けれどその発想はとても子供らしい、夢の溢れた話だと店員は思いました。
「小さなレディ、いつか、大人になったら青い紅玉をお買い求めください。ずっとずっとお待ちしていますから」
店員は微笑みました。
小さなレディも微笑みました。
それはクリスマス間近の、町の片隅の宝石店の前での、小さなお話。
*
ここから先は蛇足です。
雪の降るある年のクリスマス、大人になったレディは約束通り「青いルビー」を買うため、店を訪れました。
そして、そこである男性が「青いガーネット」を贈ってプロポーズ。その男性が誰であったかは語らずともお分かりかと。男性は彼女の言葉を覚えていたのです。『まさか本当に青いガーネットはないでしょう』といった、その言葉。ブルーのガーネットはありませんが、実はグリーンのガーネットなら存在するのです。
二つの「青い紅玉」の指輪は、いまもレディ……ミセスの宝石箱の中で輝いているそうです。
貴石は地球が生み出した、人の手では作り出せない奇跡。
けれど貴石を奇跡にするのは人なのかもしれません。
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