06. レトロ
当店は私で三代目にあたる、骨董品屋でございます。
あ、私、先代たる父よりこの店を預かり三十余年。ずっとこの店のカウンター奥に座っております。
さてさて。古ぼけた骨董品屋である当店に、その日は珍しく若い男女のお客様がいらっしゃいました。
「圭史、ここ!」
女のお客様が男のお客様をお連れになったようです。
当店は、さて、あいにくとそのように若いお客様をお相手できる値段ではありません。いえ、二束三文の品も少々置いてはございますがね。
それでも男女のお客様方があれやこれやと眺めているのは、なかなか微笑ましい光景でございましたよ。
このようなお客様の場合、「いらっしゃいませ」とは申しません。
もしも眺めるだけの場合ですと返って店主の挨拶は邪魔ですのでね。
お二人がじっくりゆっくり、お品を眺めてくださるのをそっと見守るだけでございます。
それにどうやらお二方、たいそうマナーのよろしい方々であるらしく品物にむやみやたら手を触れることはないようです。結構ですな、実に。
「すいません」
女のお客様が私に話しかけられました。おや?
「はい、なんでしょう?」
「この時計なんですが、まだ動きますか?」
お客様の指差された先には懐中時計がありました。手巻き式の懐中時計は、もしかすると今の人には珍しいのでありましょうか。いえ、そんなことはないはずです。ですが、うちにあるような古い意匠のものはまぁ、ないでしょうな。
「動きますとも。お客様がお巻きになりますか」
女のお客様は微笑みます。
それを見守る男のお客様もなんだか嬉しそうですね。
手巻き式の懐中時計をご存じでしょうか。
こう、竜頭を引き出してカリカリと巻くと、文字盤の裏のばねが巻き上がっていきます。最大まで巻くと、中のばねは元に戻ろうとしますよね。その動きで時計の歯車を回すのです。
「……ですから、巻いたばかりのときは少し針の進み具合が早く感じられるかもしれません」
「五分進みすぎているとか?」
「あるいは十分かもしれませんよ? だが、ばねが戻りきるころにはそれに合わせて針の動きも遅くなる。つまりは差し引きゼロですよ」
カリカリ、カリカリ
女のお客様にお渡しして、竜頭を巻いていただきます。
こういうときに私は時計に向かって「よかったな」といってやりたくなるのです。誰かの手によって動くカラクリは、その瞬間、命を与えられるのと同じなのですから。
時計は永き眠りから醒め、滑らかに歯車を動かします。
カチカチカチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチカチカチカチカチ
「素敵……」
「よかったね、花音」
おや、お連れ様はカノン様とおっしゃる。
私はそっとその場を離れ、カウンター奥にあるレコード盤を探りました。長らく使っていなかったものですから、もわっと埃が舞い上がります。
すると、女のお客様が急にせき込み始めました。
「あ、失礼……」
しました、と続ける前に、男のお客様の形相が変わりました。かばうようにして女のお客様の前に立ちます。
「花音は気管支が弱いんです……!」
え?
女のお客様は、いいよ、と涙のにじんだ笑顔で男のお客様を止めます。口元にさりげなく当てられているのは白いガーゼのハンカチーフ。飾り気のないそれは病院の白さを連想させました。女のお客様には慣れたことなのでしょうか。よく耳を澄ませば、せき込む音に時折ヒュー、ヒュー、と息がもれるような痛々しい音が混じるのが分かりました。
「申し訳ありません、お客様!」
それでも気遣ってくださるのか、女のお客様は首を振ってくださいます。
「……すいませ……気にしないで……。たいしたこと、ないんです」
ぜえぜえと、まだ呼吸の整わない息で女のお客様は微笑んでくださいました。
「子供の頃からなんです。だから、ぬいぐるみとかペットの毛とか大敵で」
感受性の強い子供の頃からそういうものに触れられないとなると、寂しいこともおありだったでしょうに。
「あ、でも、それ以外は普通の人と変わりないんですよ。今のところハウスダストとタバコの煙と動物の毛に気を付ければいいだけで」
「だから花音は、時計とかの無機物が好きなんだよな」
男のお客様が微笑みました。
ああ、とても大切になさっているのですね。
女のお客様の手の中で、懐中時計は先ほどと同じカチカチカチカチと命を繋ぐ音を続けています。
私は先ほどのレコード盤を手にしました。埃がたたないように注意しながら蓄音機の蓋を開けます。
レコード盤をはめて、ダイヤの針をおろすと、蓄音機はバイオリンの音を吐き出し始めました。
「あ……」
女のお客様はお気づきになったようですね?
「パッヘルベルのカノン。私から花音様へ」
願わくばこの幸せなお二人が、いつまでも幸せでいられますように。
ささやかな願いを懐中時計に込めて。
***
「まけてもらっちゃったね、圭史」
花音はアンティークショップを出て、恋人を見上げた。
鞄の中には先ほど買った懐中時計が入っている。サービスです、と店主は随分安い値段で売ってくれた。どうしても欲しいと一目で惚れてしまったから、それはそれで嬉しかったのだが。
「よかったのかなぁ」
「それより花音、気管支は?」
圭史は心配性だと思う。全然、と笑って首を振った。
「えへへ、あのお店の店長さん、ちょっと格好よかったでしょ?」
「気障なだけだろ。……でも、若かったよな」
「だよねー、どうみても二十代にしかみえないよね」
*
当店は私で三代目の骨董品屋でございます。
父より受け継いで三十余年。ほんのちょっとばかり、年を取るのを忘れておりますがね……。
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