十和田茅による30の戯言(03)  (02/12/03更新) [目次に戻る]

 03. 鬼

 翻る剣閃鮮やかに。
 美女は地の底から響くようなうなり声を上げて正体を現した。
「うぬ。さてはお主、近ごろ都を騒がしておる茨木童子!」
「ぬう……やりおるな、渡邊綱!」
 茨木童子は渡邊綱に左腕を切り取られ、そしてほうほうの体で逃げていった。

   ***

 時は平安。
 魑魅魍魎が跋扈し、世相は不安。人々は荒れ果てた都で草の根をかじって生きていた、そんなころの話。

 さて、ここはその都より幾分か離れた山の中。
 粗末な庵に、都からの旅人は一夜の宿を求めた。亭主は無骨ななりに反して静かな教養のある男で、客人は気をよくして最近の都での出来事を身振り手振りを交えながら熱を込めて語った。

「最近の出来事といって、一番はあれですよ。渡邊綱(わたなべのつな)の鬼退治! 一条戻り橋とか羅生門とかいいましたかね。四天王のひとり、渡邊綱がこう、歩いておりましたならばね。ひとりの美女が綱とすれ違ったわけです。それはそれは匂うような美しさの女性だったそうですよ。荒れ果てた夜の都をうろつくのがまた不似合いなほどの。渡邊綱はですね。その美女を送り届けようとですね。いや、美女が声をかけたんだったかな。とりあえずですね。綱と美女のふたりが、こう、出会って。しかしその美女は鬼が化けていたのですよ。鬼です、鬼。ご存じでしょう? ご存じない? 噂くらいはご存じでしょう。大江山を根城とする酒呑童子の配下、茨木童子がですね。綱の命を狙って、その鋭い爪で襲いかかってきたのです! 恐ろしいですね、でも、さすがは四天王の一人。綱は、さっと身を翻して愛刀を閃かせた! あの、茨木童子の左腕を切り落としたのです!」
 客人は、えい、たあ、と刀を振り回す真似をする。
 亭主は、ほう、ほう、と頷きながら身を乗り出しながら客人の話を聞いていた。
「それで、渡邊綱殿はどうなりました?」
「よくぞ聞いてくれました。都のですな、えらい陰陽師様に伺いをたてにいったのです。この鬼の腕をどういたしましょうか、と。そうするとその先生様は、うん、とおっしゃって」
 そこで客人は渋い顔を作って見せた。陰陽師の先生の顔のつもりである。
「『物忌みをなさい。鬼が腕を取り返しにくるでしょう。それを鬼に渡してはいけません。腕を厳重に封印して、あなたは七日の間、誰が来ても、会ってはいけません。また、誰を家に入れてもいけません』」
「ははぁ、分かりましたぞ。綱は言いつけを守らず、開けてしまうのでしょう」
「ま、ま。そこはそれ、鬼が狡猾なのです。渡邊綱は言いつけを守りましたよ。ところが間の悪いことに、七日目に摂津の国より綱の叔母君が訪ねてきたのです。今日は会えないというと、叔母君はそれはそれは泣いて、このような薄情者に育ててしまったと己を嘆く始末。情に厚い綱はそこで叔母君を招くために扉を開けてしまったのです。叔母君は、可愛がっていた甥が立派になったことを喜んで『そういえばお前は鬼の腕を取ったとか。冥土のみやげにそれを見せてはくれまいか』といったのですね。綱は可愛がってもらった叔母の頼みです。封印を施した唐櫃を開けてそれを見せた」
 客人はそこで出来るだけ恐ろしい顔を作った。
「なんと、叔母君は鬼神もかくやという形相になってその腕を掴んだのです。ええ、鬼が、茨木が化けていたのですよ。そしてその腕を引っ掴んで、茨木はつむじ風と共にどこかへ飛び去っていったのです!」

 ほう、ほう、と亭主は頷いた。話の見せ場だというのに、今度は身を乗り出してはいなかった。逆に客人は気を削がれてしまった。客人は道々で随分とこの話をしたが、そのたびにこの場面では人々が恐れおののくように、あるいは熱中して聞いてくれたものである。この亭主は驚かないのだろうかと不思議に思ったところ、隣から、ほとほとと戸を叩く音がする。
 何事かと客人は身をこわばらせたが、亭主はよくしたもので「お入り」といった。
「失礼いたします。隣にお床を用意いたしましたので、どうぞいつでもお休みになってくださいまし」
 現れたのは美しい女性だった。亭主は「家内です」と短くいった。無骨な男とこの美女が並ぶとなにやら不揃いのような、逆に似合いのような、よい夫婦であるように思えた。家内というその女性は、手をついて慎ましやかなお辞儀をする。なんとも匂うような美女であった。
 不思議なことに。
 女の手は右手しかなかった。
 よほど不躾な視線を送っていたのだろう。客人の視線に気付いたように美女はそっと微笑んだ。
「……野盗に襲われまして。左腕は失いましたが、命はなんとか」
 右手で、丸い左肩を抱き、そっと肩に添わせるようにして手を滑らせていく。美女の左手はひじから下がないようだった。茨木童子と同じ。
 先ほどまでの話題を客人は思いだし、失礼なことを思ってしまったと内心で美女に詫びた。

   *

 その夜。
 夢現で、客人は庵の亭主たちの会話を聞いた。
「噂はかなり尾ひれを付けて広がっているようだ」
 亭主は笑った。
「……後悔しておりますか?」
 酌をしながら、美女は微笑む。その声はどこか寂しそうだった。
「まさか」
 亭主は即答する。
「噂のつじつま合わせに頼光様はさぞ苦労なさっておいでだろう。そのようなことをせずとも、綱は鬼に魅入られましたと素直にいってしまえば楽になれようものの」
「……よろしいのですか」
 微笑。どちらのものかは分からない。
「そなたが厭ならば仕方ないが、茨木?」
「そのような……まこと、その通りであらばとうに左腕を奪って逃げておりますわ、綱様」
 また、微笑。
 そして男が女を押し倒す音。続くのは夫婦らしい甘やかな睦言。

 ……これは誰にもいわないでおこうと決めて、客人は睦言を枕にまたぐっすりと眠った。
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 モノカキさんに30のお題( 04.07.10 リンク切れ)----http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8907/mono/index.htm