Queen of Heart<終>
それはとても綺麗な金色の獣。「サラさんって格好いい人ですよね」
「ん?」
給湯室の女の子達の噂話に、さりげなく混じっている私。
いっておくが私はここの会社の人間じゃない。
ここの会社の主の友人というだけだ。
「いつでも颯爽としていて」
「そうそう、男の人顔負けの仕事なさるんでしょう?」
「あの若さで」
「たくさんの人、顎でこき使って、本当に女王陛下ってあだ名、ぴったりですよね」
そうそう、と私も相づちを打つ。
君たちは「女王陛下」のあだ名の意味を知らないんだね。給湯室にリズが顔を出した。
リズはハイスクールからのサラの友人だ。
「あら、カヤ。こんなところで何してんの?」
「茶ぁしばいてんの」
「シバ……? どういう意味?」
わざと日本語で答えた私にリズは眉をひそめた。
「……サラが女王陛下って意味、リズなら知ってるよね?」
苦笑しながら私がいうと、リズはそれはそれは複雑な、苦虫をかみつぶしたようなと形容するのがぴったりの顔になった。
女の子達は「え?」というような顔だ。
「私にしゃべらせたいの?」
「……できれば」
険のある口調を丁寧に避けて睨んでくるリズを見つめ返す。
「じゃあロジャーに頼みなさいよ。カレッジでそのあだ名つけたの、彼よ?」
「え? リオから帰って来てんの?」
「次はミドル・イーストですって」
「うわぁ……報道カメラマンも大変だぁね」
そこに運良く――いや、彼に取っては運悪く、だ――火の中に飛び込んできた夏の虫。
「呼んだ?」
ロジャーだ。
「ハイ、ロジャー。とってもいいタイミングよ」
にっこりと微笑んだリズに分の悪さを感じたのか、お邪魔しましたと立ち去りそうになる彼を私が入り口を塞いで引き留める。
狭い給湯室は人口過剰だ。
「サラがどうして女王様かって話してたんだ」
「! 勘弁してくれよ……もうあの頃とは状況が違うだろ?」女二人で声をはもらせる。
「駄ぁ目」
よし、気前よくハートマークも付けてやろう。
ロジャーは溜め息ひとつついて、両手を上げた。そうそう、人間諦めが肝心だよ?「サラに女王陛下とあだ名が付いたのはカレッジでだ。但し、意味が違う。それは『アリス』のハートの女王という意味で。赤薔薇と白薔薇を植え間違えた兵隊に『首をちょんぎっておしまい!』ってわめいた、あの女王さんだ。
分かる?
そりゃあもう、可愛くない女でね。
仕事とか勉強は誰より出来た。当時からそういう努力は惜しまない人だったしね。いかんせんコミュニケーション能力に欠けたんだな。人とトラブル起こすのは日常茶飯事。それでもね、ほら、なーんか憎めないキャラしてるだろ? 自信家だけど、その裏付けはちゃんとあったし。自然、周りにはレベルの高い人間が集まって……ああ、誤解のないように。僕は自分の自慢話をしてるんじゃないから。でも、そういう奴らが多かったのは事実だ。
また見る目あるんだ、サラって奴は。
若い頃、彼女に才能を認められた人で最近ようやく芽が出てきた人だっている。そういう意味で友人達はみんな彼女の周りで切磋琢磨していったわけだ。サラを女として見られない理由はその辺りかな。どんな男よりたちの悪いライバルだったんだ、あの頃は。
自信家の女王陛下。
味方も多かったけど、それ以上に敵は多かった。
公衆の面前で完膚無きまでこき下ろされたりしたら、誰だってサラのこと憎みたくなると思わないか?」女の子達の顔が真剣になってくる。
そう、君たちが憧れているサラって女は昔はそんな人だったんだよ。リズがぽつりと呟いた。
「それが、ねえ。ちょっとましになったかと思う間に赤ちゃんが出来て……実際、子供が生まれてからはサラ、変わったわ。前は平気で上司に『無能』とか言い放つ人だったのに、優しくなったというか」
うんうん。
何がサラを変えたのか知らないけどね。サラは変わった。
そりゃ、相変わらず自信家で、強くてたくましいけど。
人をまとめていくのに攻撃ばっかりやってられないからね。いい傾向だったみたいだ。こんな大きな会社をまかされるまでになった。女王陛下の意味もそれにつれて変わった。それこそ本当に、たくさんのブレーンにかしずかれた女の王様って意味に。ぴんぴんぴろりろ ぴんぴんぴろりろ ぴんぴんぴろりろり〜
「な、何? この着メロは?」
「あー、私だ」
昔のゲームミュージックの着信音を切る。――カヤ?
「げっ、サラ……」
頼んでおいたコラムの原稿がまだ届いてないぞ。〆切は過ぎてるんだがな?
「や……ネタがなくて……」
そんな言い訳、通ると思ってないよなぁ?
「……」
そうか。よし、今からホテルに缶詰してもらおう。よかったな、高級ホテル好きだろ。どうしても明日の香港出張までには間に合わせてもらう。明日の午前6時きっかりに秘書の田島に取りに行かせるからな。
「………逃げます、さよならっ」そして私は電源を切った。
走ってビルの入り口を目指す。後ろでリズとロジャーが無責任な声援を送ってくれるがこの際、無視だ。この時まだ私は、会社のビルの真正面でにこやかに微笑む秘書とリムジンが待っていることを知らなかったのであった……。