氷の竜
 火の山は頂に湖を冠していました。
 その麓、地熱の高い台地に火竜が巣を作っていました。巣の中には卵がみっつ。お母さんはみっつの卵を大事に大事に暖めていました。ですが卵のうちひとつは次第に冷たくなっていきました。

 やがて、卵がかえりました。ひとつめはお母さんそっくりの火竜、ふたつめの卵からは水竜が生まれました。この子はお父さんに似たのです。そう、この二匹のきょうだいは火竜と水竜の間に生まれた子供達でした。ところで水竜の子供にとってはここの地熱は熱すぎたようです。次第にぐったりとしてきました。お母さんも火竜の子供もただうろたえるばかりです。自分たちが側に近寄ればさらに水竜の子供にはよくないことが分かっていました。
 そのとき、みっつめの卵が割れました。冷たくなってもう死んでしまったと思っていた、あの卵です。卵からかえった子供のまわりに冷たい風が吹きました。霜をまとったようなきらきら輝く鱗を持ったその子はきょとんと母親を見上げました。三番目の竜は氷を司る竜でした。
 氷の竜は火竜と水竜の間に稀に生まれるのです。火竜の熱を司る力を正反対に受け継ぎ、水を凍らせてしまう力を持つ氷竜。
 お母さんのその子を見る目は少し寂しそうでした。
 さて、水竜の子供はちょっと涼しくなったため、やっと元気をとりもどしました。

 三匹の兄弟はみんな属性が違いましたが仲良くじゃれていました。
 それでも属性の違いは成長するごとに大きくなっていきます。あるとき火竜の子供が溶岩の中で泳ぐ、という遊びを始めました。水竜の子供はもちろん近づきません。溶岩の側に寄るだけで熱くてたまらないのです。氷竜の子供は負けず嫌いでした。ちっちゃな牙をむきだしにして吹雪の息を吐きました。そうすると一時的に気温がぐんと下がりました。そうして怖いのを我慢して岩のへりに立ち、火の海の中にいる兄弟を見下ろしました。が、その拍子につるんと足をすべらせてしまったのです。
 さあ、大変。火竜の子供にはなんでもない熱さでも氷竜の子供にとっては致命的です。鋭い悲鳴が上がりました。必死で母親に助けを求めます。
「あづいよー、おがあぢゃーん!」
 可愛い我が子の泣き声を聞きつけ、お母さんは低空飛行で氷竜の子供を火の海からすくい上げました。
 氷竜の子供は大やけどを負いました。それでもなんとか命は取り留めました。
 さて、お母さんはもう一度、氷竜の落ちた溶岩に行きました。そこには冷えて固まりかけた溶岩に足を取られた火竜の子供がいました。お母さんは炎の息を吐き、もう一度火の海にして火竜を助けました。
 溶岩が冷えた理由はあの末っ子だ、とお母さんは知っていました。

 子供達が少し大きくなった頃、お父さんが来ました。
 お母さんは火竜の子供を手元に残し、残る二匹をお父さんの前に差し出しました。水竜と氷竜の子供はもう火竜と共には暮らせないのです。これからだんだん力を付けて、そしてその力を自分で押さえられるまで三匹を一緒にさせるのは危険なのでした。
 お母さんは子供達が生まれたときの卵の殻を氷竜の頭にかぶせました。そしてその上から鼻をこすりつけ
「……元気でね」
 と涙声でいいました。もう氷の力が強くなっていて、お母さんは直接触れることができなくなっていたのです。卵の殻が適度な断熱材になって、氷竜の子供は、お母さんはあたたかいなと思いました。

 お父さんは二匹を連れて火の山の頂にある湖に連れていきました。
 水竜の子供は、火竜の母親から生まれたという特殊な環境でしたのでそれまで一度も水に触れたことはありませんでした。お父さんはまず水竜の子供を湖に放り込みました。生まれて初めて触れる水でしたが、その心地よさに水竜の子供は水の中が気に入ったようです。そしてお父さんは次に氷竜の子供を前にして
「お前がこの湖の水を凍らさないでいられたら、一緒に北の海で暮らそう」
 と、いいました。
 氷竜の子供は、ぽい、とそのまま湖に放り込まれました。
 さて、氷竜の子供にとっても初めての水です。湖の景色は以前落ちた溶岩の様子に似ていましたので
「怖いよぉ」
 と身構えました。そして水に触れた瞬間、湖の水をあっという間に凍り付かせてしまったのです。氷竜の子供は以前のような苦しみがなくてきょとんとするわ、水竜の子供は凍った水面に体の自由を奪われてあわれな声で鳴くわ。
 お父さんは鋭い爪で氷を割り、水竜の子供を助けました。そして何度も何度も氷竜の子供の周りを取り巻く厚い氷を砕き、水から引き離すと、湖の底に潜って内側から湖面の氷を溶かしました。

 お父さんは今度は氷竜の子供だけを連れて、遠くへと飛びました。
 やがて取り巻く空気が身を切るように冷たくなっていきます。氷竜の子供は心地いいなと思いました。最初に生まれた巣穴より、次に連れられた湖より、うんと気持ちいいと喜びました。お父さんは我が子の様子に、やはり、と寂しそうな顔をしました。
 着いた先は氷の洞窟でした。
 お父さんはいいました。
「お前はこれからここで暮らしていくがいい」
 氷竜の子供は理解できずに、きょとんとお父さんを見上げます。
「……お前は我らとは暮らせぬ。そういう事情なのだ」
 そうしてお父さんはそっと我が子に鼻先をすりつけ、頭をなでてやりました。
「元気でな」
 鼻先が凍り付くのもかまわず、お父さんは名残惜しげになでてやりました。
 子供はお母さんと別れた時を思い出しました。
 そして、お父さんは飛んでいきました。

 竜の子供はたった一匹、洞窟に残されました。

「おかあちゃん?」
 右を見回してもお母さんはいません。お母さんはお兄ちゃんと一緒。
「おとうちゃん?」
 左を見回してもお父さんはいません。お父さんはお姉ちゃんと一緒です。
「……おかあちゃん、おとうちゃん、どこ?」
 本当はまだまだ親の庇護が必要な頃でした。それでも、力の強い氷の竜は親とは暮らせ
ないのです。一緒にいれば親が倒れるか子が倒れるか、どちらかしかないのですから。
 氷竜の子供は泣きました。
 さびしくてさびしくて泣きました。
 お母さんもお父さんも、兄弟達もいません。
 そもそも水と炎、反対の性質を持つ竜同士が子供を作る確率そのものが低いのです。氷竜が生まれるのはごく、まれでした。絶対頭数が少ないのです。この氷の洞窟にいた氷竜はどうやらこの子供一匹だけのようでした。
 周りには誰もいない、雪と氷の精霊たちが竜をなぐさめるように側に仕えていました。

   *

 ある国で、赤ん坊が産声をあげました。
 この子がどうぞ竜に祝福され幸せになりますように、と両親は祈ります。
 その国では精霊たちと人間がまだ共存しており、祝福を受けた子供は竜の持つ属性の精霊に愛され守られるという風習が残っていました。

   *

 その声を聞きつけたのは氷竜でした。
 氷竜の子供は、この子はきっと自分と同じようにさびしがり屋なんだ、と産声を聞いて思いました。
 ならばこの子に祝福を。
 生まれてきてよかったね。
 どうか、どうか幸せに。誰からも愛されますように。
 さびしい思いをしなくてすみますように。

 氷の竜は今でもその洞窟で、雪と氷の精霊にかしずかれながら静かに暮らしています。
竜の寿命は人に比べて遙かに長いので、最初に祝福を与えた人間の子供はもうすっかり大きくなっていました。
 竜は、人間は氷竜が嫌いなんだということを覚えました。そして祝福を与えた子供が成長後、だんだん心を凍り付かせていくのを見ているしかありませんでした。そして、自分のせいだとそっと涙しました。

 雪と氷の精霊を従えて、誰よりもさびしがり屋だった氷の竜はその深い愛情ゆえに今も洞窟の中で孤独に耐えているということです。

<終>


<あとがき>
 セツロの裏事情です(笑)
 まったく、ねえ。こんないい子(竜)に祝福してもらったというのに、とんでもない馬鹿たれになっちゃって。
 きっと氷竜の祝福の数が少ないのも、わざと竜が我慢してるのね。可哀想に。
 セツロ本人の気質と氷竜の祝福はあんまり関係なかったりする、というお話でした。
(いや、気質じゃなくて属性ではそりゃ関係、あるんだけど……)
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