恋火
 
 レンカは鳳凰である。
 鳳凰というのは雄と雌で一対をなす。けれどレンカは片割れを持たない。誰よりも愛しい片割れはとうの昔に失い、だが今は、片割れとは比べものにならないけれどそれなりに認めている相棒がいた。鳳は雄の火の鳥、凰は雌の火の鳥を指す。そして新しい相棒の名前は鳳といった。

 その相棒は今、大好きな人の忘れ形見である娘を手に入れて幸福の絶頂にあった。
 彼の様子を見ているとこちらも微笑ましい。今も庭先で娘に剣術の手ほどきをしていた。こんな日々がくるとは思っていなかっただけに嬉しくて仕方ない顔だ。レンカも余計な苦労ばかり背負い込まされている相棒を心配していただけに、いつまでもこの平和が続けばいいと思っていた。
「ホウはいるか?」
 後ろから急に声をかける者がいた。
 振り向くと、レンカの間合いに入り込まない位置に子供がいた。レンカよりも金色に近い、オレンジ色の髪。その瞳は青白い星を埋め込んだ色。肌は赤銅色をしていた。ここは王宮の一角である。不審人物は誰も近づけないよう護衛がこの周りを囲んでいるはずだが、子供は堂々とした態度でここにいた。上半身は裸、下半身には腰布を巻いただけの簡素な格好だ。王宮では見ない顔の男の子である。
 レンカは驚いて少年を見つめた。王宮では見たことはなかったが、レンカは彼を知っていた。
「火竜様。突然のお渡りじゃな、どうかなされたか?」
 少年はやんちゃそうな顔で笑う。
 この国で竜は、外の国でいう神に相当する。彼の行く手を阻むことのできる人間や精霊などいるはずがない。側に近づくのも畏れ多い存在なのだ。精霊とは違ってレンカには火竜に頭を下げる義務を持たない。レンカは鳳凰、つまり幻獣である。人の姿をとっていると精霊と大差ないのだが幻獣というのは精霊よりも相当、格が上なのだ。突き詰めれば竜も「幻獣」という枠に入る生き物である。ただしその幻獣の中でも竜は神と同格に扱われるくらいに、特別な存在である。
 その特別な「火竜様」はやんちゃ坊主そのままの顔で
「いやあ、ホウの子供が帰ってきたっていうじゃん。見せてもらおうかと思ってさ」
 と、けらけら笑った。つまり、国がひっくり返りそうな一大事でもなんでもなく、単にからかいに来ただけらしい。
「子供というても……少なくとも外見は大人じゃ。火竜様がご想像なさっておられるような小さな子供の姿はしておりませぬぞ」
「そうなのか? 人間の子供は成長が早いな。ちぇ」
 普段は下に下にの大仰な扱いをされるべき竜だが今上の精霊の長はよほど彼らに好かれているらしく、たまにこうやってふらりと遊びに来られてしまう。大抵は格式張ったことが嫌いな風竜か、その次に元気な火竜が顔を見せるのだ。
 苦笑しながらレンカは庭を指差した。
「あそこにおられますが、邪魔はしてくださいますな。長にとって本当に貴重な時間ですからの」
 人間は阿呆だとレンカは思っている。どうやったらこれだけ難題ばかり長に押しつけることができるのかとあきれるくらい、次から次へと厄介なことを持ってきた。普段なら進んで政務をこなすホウだが、レンカはやっと娘に会えたというのにどうして親子の時間を削らせるようなことをするのか憤りさえ覚えていた。
 火竜は植木にこっそりと隠れるようにして二人の様子を眺める。見つかりでもしたら、ホウは娘を放り出してでも火竜の方に来てしまうだろうから。
「へぇ、よく似た親子だなぁ」
「火竜様もそうお思いなさるか?」
「思う。よく似てる」
 人間が聞いたら眉宇をひそめるような会話だと、内心でレンカは笑う。娘の外見は父親には全く似ていない。同じ色の髪と瞳をしていても全く違う。それでも気配というか血筋というか、動物のような表現の仕方だと二人は同じ匂いがしていた。
 しばらくその親子を眺めていたが、そっとその場を離れる。レンカもその後をついていった。側にいなくてもホウが呼べばレンカはすぐにそこに向かえるだけの位置まで遠ざかる。
「見た目しか判断してくれない人間相手だと大変そうだなぁ」
 人間には親子に見えないから、色々意地悪されるかもしれない。
「ええ。ですが、長とは違おて姫君はとても柔軟な方ですのでな。周囲の悪意ある噂など何処吹く風といった様子じゃ」
「楽しそうだな、レンカ?」
「それはもう。ひとつ難癖つけるとするなら肝の据わったお人ですゆえ、からかいがいがないことですのう」
 嬉しそうに語るレンカに、火竜はどこか安心したような顔で頷いた。
「もう大丈夫だな」
 レンカはその言葉を真面目な顔で受け止めた。何を心配してくれたのか、レンカには痛いほどによく分かったから。
「……その節は申し訳ない」
「何いってんだ。もう大丈夫なんだろ? よかったっていってるのに」
 友達にでもするように火竜はレンカの背中を叩いた。
 見た目だけならレンカの方が大人である。だが、今、子供の姿をした火竜に彼女は深々と頭を下げた。

   *

 霧の谷は過去、滅ぼされかけたことがある。
 炎がこの国を襲った。たった一羽の火の鳥が我を忘れたために。
 雌だった。鳳凰はつがいでひとつの鳥である。時を同じくして生まれ、時を同じくして死ぬはずだった。運命の一対。それが、対になる雄を失った。
 片翼をもがれたも同じこと。理性を失い、狂乱し、嘆き悲しむ火の鳥を誰も止めることはできなかった。炎の属性を持つものの頂点に立つ火竜も同様である。命じても止めることは出来ないし、過度の実力行使は火の鳥よりも先に人間が死んでしまう。生半可な力の水の精霊では炎を消すよりも先に己が蒸発させられる。水竜が現れても火の鳥を滅するだけの力を奮えば国に対する被害は甚大である。どうしようもないとき、止めたのは精霊の長だった。
「そなたの嘆きはよく分かる。私も妻を失ったから」
 若く美しい長の声は震えていた。
 緑の瞳はかすかに濡れている。深い森の中に清水をたたえる小さな泉。
「あの人を得て、あの人を失って、そして私の半分は永遠に取り戻せなくなった」
 火の鳥は動きを止めた。精霊の長を見る。
「ならば止めるな」
 これをいったのは凰。雌の火の鳥。それに対した長の、小さな泉にたたえられた水はとうとう堰を切って溢れ出した。
「出来れば止めたくない。そなたを死なせてやりたい」
 それは凰が最も望んでいたこと。初めて彼女は目の前の人間の話を聞く気になった。天を覆うほど大きな炎の鳥の姿を小さく小さくして、礼を尽くす意味も込めて人の姿を形取る。
 燃える炎の色をした巻き毛の長い髪、血のような赤い瞳の女性へと姿を変えた。
「……なぜ分かった?」
 望みを。
「そなたの嘆きはよく分かる、といったろう」
 何よりもそれは彼が望んでいることだったから。
「同じように失って、それでも同じことを考えているとは限らない。それでも私にとってあの人は命に等しかった。鳳凰に及ばないまでも私の片翼だった。もう二度と会えない」
 透明な雫がまた光り、こぼれた。
 もう二度と片翼には会えない。
 この痛みが理解できない者に尋ねてみたかった。片目をえぐられて、片腕をもぎとられて、片足を引っこ抜かれてそれでも痛みに嘆かない、己の未来に落胆しない者がいるのかと。仮にそんなことが可能な者がいるのなら、会って八つ裂きにしてやりたかった。
「妾は人ではない」
 固くこわばった口をなんとか意志の力で動かして、彼女は言葉を作る。
「人のように自害はできぬ。ならば、誰か妾を死なせてたもれ」
 死にたいのだ。はやく片割れに会いたいのだ。死んで同じ所に行けるとは限らないが、それがあるべきはずの姿だった。自分達は片割れと共に生まれて片割れと共に死ぬのだ。
 美しい長は、それは悲しげな瞳をして緩く首を振った。
 なぜ……!
 焦る凰に、長は泣くのをやめてまっすぐに彼女を見つめた。
「私も死ねない。あの人を失って、二度と会えなくて、それでも私は生かされる」
 この国と精霊のために。
 口にされなかった部分を己の考えの範囲で補って、レンカはほんの少し長を気の毒だと思った。しかし長はともかく自分は死んでもなんの不都合もないようにも思える。
「妻となったあの人に、私は最初『殺しに来たのか』と聞いた。あの人は罪深い私を裁きに来たように見えた。けれどあの人は『自分から死にたいという奴はろくでもない奴だ』といって尊大に怒った」
 凰はちょっと眉をつり上げた。
 精霊の長の話なら少し耳に挟んでいる。亡くなった王妃は物静かで大人しい人だったはずだ。長は首を振った。その女ではなく、一生にただ一人と決めた女性は別にいるのだと。
「だから死なせてやるわけにはいかない。そして、この国に被害を与えることも見逃せない」
 柔らかな微笑みとは対称的に長はきっぱりと言い切った。
 その代わりに、ひとつの代替え案を出した。
「私達は分かり合える。互いに同じ傷を負い、同じ痛みを知っている。ならば、私が命を終える少しの間その命を預からせてはもらえないだろうか」
 互いに失った片翼には遙かに遠いけれど。
 共に歩める運命の相手は一生にただひとりしかいない。それでも彼女が頷いたのは、この長の言葉に信頼に足るものを感じたからかも知れない。
 身を重ねる代わりに契約を結んだ。一生をかけて炎の力を貸す、と。そして彼女は長を守ることになった。

 そのときに長は彼女に名を付けた。恋火と書いてレンカ。燃える思いを抱く火の鳥はこの名をいたく気に入った。

   *

「ほんに、その節はご迷惑を……」
「だからもういいってば。あの時はどうあれ、今はホウの片腕なんだろ」
 少年らしい明るい笑顔で火竜は空を仰ぐ。
 誰よりも精霊に愛されていたはずのホウは、それまできちんと精霊と契約したことはなかった。最初に契約を交わしたのが幻獣ということで彼は精霊使いから一斉に一目置かれた。その次にイスカが「守護精霊にしてください!」と泣き落としをかけ、ホウは名実ともに最高の「精霊の長」となった。他の精霊が側付きになれることを羨むくらいである。
 ふと、庭を横切る人間の家臣とそれに付き従う精霊の姿が見えた。
「火竜様、たった今、長が娘御の稽古を付け終わったようです。今からだとまた家臣どもが執務室に連れていきますゆえ、今のうちにお会いになられてはいかがで?」
「ん。じゃあ、そうする」
 少年は走り出した。途中まで走って、そしてくるりとレンカの方を振り返る。
「来てるのはオレだけじゃないぞ。風竜はもちろん、地竜や水竜も来てるんだから」
 レンカは目を丸くした。
 堅物の地竜や、普段滅多に水辺から離れない水竜までが来たというのは一大事である。
「……竜の方々におもちゃにされる長の姿が目に浮かぶようじゃわ」
 笑うしかない。額に手を持っていって、レンカは上を向いた。

 空は抜けるように青い。
「誠によい天気であるな」
 レンカは突如、鳥の姿に戻った。そのまま翼をはばたかせ天高く飛翔する。鳳凰は瑞兆だという。ならば今上の長が治める間だけでも側にあり飛ぼうと思った。

<終>


<あとがき>
レンカ、裏話。
精霊よりもずっとレンカは偉いので、それでホウに少々偉そうな態度を取っても黙認されています。
「恋火」の名前はミツルギさん(@電脳都市BAKERATTA)に命名していただきました。ありがとうございました。最初に考えていた漢字は事情により没になったのですが、こんなにぴったりの名前をいただけて感謝しております。

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