虹のふもとを追う者

 憧れるのは
 しゃりしゃりと音を立てる滑らかな絹の手触り、ふんだんにあしらわれる繊細なレース。
 ふくいくとした薔薇の香り、天鵞絨(ビロード)のような八重の花びら。
 形よく結い上げた髪に、ちりばめられた金粉・銀粉・宝石の粒。
 ほっそりした首を飾るのは、ミルクに虹を足したような色の真珠の首飾り。
 薔薇の色数ほどもある多彩な口紅の色。まぶたを彩る色粉は孔雀の羽よりもっと多彩。

 けれど、いくら憧れてもそれらは手のひらからすりぬける。
 虹のふもとを追うように、星のかけらを落とすように。
 永遠に手に入らない。

 ――と、思っていた。

   *

 海辺の町、宿の一室。
 レイガは寝台の上に座って針を動かしていた。側にはイスカ一人。椅子の上でちょこんと座っている。
「ほい、できた」
 はさみを入れて縫い糸を切る。
 イスカの朽葉色の法衣は血のしみを洗い流され、裂けたところもきれいに繕われていた。水竜の神殿で脇腹を切られたときの名残である。傷はスイレンに治してもらったが、さすがに衣服まで修復はされていなかったのだ。
「すいません、助かります」
 イスカはほっと表情をやわらげた。
 対し、レイガはいつもの、表情の読めぬ顔のままである。
「気にするな。裁縫は数少ない特技のひとつだ」
「ええと……魔法を使えるというのも十分、特技だと思われますが」
 どこが数少ないんだろうというイスカの疑問は、ごく普通にわきあがるものだろう。

 魔法を使う、というのはとても難しい。
 精霊や妖魔が呼吸するのと同じくらいのたやすさで行うのとは訳が違う。
 幼いころから「物見の塔」と呼ばれる魔法を教えてくれる場所で勉強に勉強を重ね、何年も修行して、そして卒業試験に受かったものだけが晴れて魔術師を名乗ることができる。その行程を通らない魔法使いは――仮に、どれほど優れた魔法を使う者であっても――モグリと呼ばれ、世間一般の信頼を大きく損ねる。

 レイガにとってそれは常識。そして、多分あまり知らない者にとっても。
「詳しくありませんけれど、それくらいは常識でしょう?」
 イスカの台詞がそれを裏付けていた。
 レイガは、ちょっと考えてからそれに答えた。
「おれ様は器用貧乏というやつでな。やれることは多いが、どれひとつとして突出したものがない」
「そう、ですか?」
「魔法ったって、ただ『使える』というだけで、精霊や妖魔と立ち向かえといわれたら無理だぞ。裁縫にしたって好きなものしか縫ってこなかったしな。とても職業としては成り立たん。あと、特技と呼べるもの……楽器の演奏や薔薇を育てるのは完全に趣味だし……」
「十分ですよ。いくつ隠し芸があるんですか」
 イスカは苦笑していた。
 そして、いそいそと手元の法衣に袖を通す。繕われた脇のあたりを着たままの状態で確認し、満足げに口元をほころばす。
「わぁ、とってもきれいにできていますね」
 まだ新しい法衣がきれいに修復されているのが嬉しくて仕方ないのだろう。清貧を誓う神官が一度支給された法衣をぼろぼろになるまで着続けるのは当たり前のことだった。当然、つぎをあてるのも自分でやるはずだ。レイガはそれを、若干目を細めてみつめる。相手が嬉しそうなのを見るのは悪くない。
 その一方で、レイガの中のこだわり屋が首をもたげる。手持ちの糸で処理したためやや生地の色と糸の色があってないことが気に入らない。完全な同色で縫えばもっと目立たなかっただろうに、その一点がくやまれる。
「聖都にいけば、この町よりもっと色糸が充実してるんだがな……」
「はい?」
 ややあって、レイガの一言の意味を理解したイスカが繕った部分をちょっと持ち上げる。
「気になりませんよ。ほら、ほとんど目立たないじゃありませんか」
「『ほとんど』じゃなく『まったく』目立たないくらいに仕上がるはずなんだ」
 器用貧乏にして凝り性、また凝るところ以外は驚くほどに大雑把。それがレイガであった。
 イスカは微笑む。
「本当にありがとうございます。レイガさんにとってはご不満かもしれませんが、僕にとっては十分満足するものです。ありがとうございます」
 そこだけで話を切ってはレイガのこだわりを軽んじていると思ったのか、話を続けた。
「満足の度合いが僕とレイガさんで違ってもおかしくありませんよね。僕はどちらかといえばこういうことが苦手ですから……僕の知り合いにも『裁縫は得意ではない』といいながら服を一着縫ってしまわれる方がいるんですよ。服が縫えるだけですごいなと思ってしまいます。僕はこういうちょっとしたかぎ裂きを繕うのがやっとで……あ、もちろんレイガさんのほうがずっとずっとお上手です」
 レイガは寝台の上で足を組み替えながら話の中の知人を想像する。
 仕立屋を職業としている男はともかく、普通、針を握るのは女と決まっている。一家を切り盛りする女は夫や子供達の服を縫うのが仕事のひとつだ。得意ではないというのは飾り気のない極力簡素な服しか縫えないという意味だろう。
 逆に、家を持つ男は針を握ったことさえない者が珍しくない。子供の頃は母が縫ってくれ、大人になれば妻が縫ってくれるからだ。独り者やはみだし者、神官や魔術師の卵など自活を必要とされる男たちは多少心得があると見ていい。
「レイガさんはどちらで針を覚えられたのですか? やはり、物見の塔での時代に?」
「ああ、まぁ」
 うっかりそう答えた後、「しまった」と思った。イスカが素早く食いついてくる。
「やっぱり正式に勉強なさった方なんですね。魔術の形を随分崩されていらっしゃいましたが、一方ですごく難しいことをいとも簡単にこなしていらっしゃいましたから基本ができている方だと思いました!」
 その台詞を聞きながらレイガは内心で舌を打った。
 普通、魔術師は剣を持たない。レイガは持つ。魔法を使う手順も省略が多いため、一見バラバラに行っているように見える。少年神官の前ではやっていないが、唱える呪文もかなりいいかげんだ。どうみてもモグリなのである。余計なことをいわなければただのモグリですんだ。
 イスカはにこにこと笑っている。
 純朴で鈍そうに見えて案外鋭いこの少年を、口先で丸め込むのは少し難しそうに思えた。正直に答えるしかないか、と、かいつまんで答える。
「残念だったな。モグリだよ、おれは。卒業していない。途中で退学になった」
 正確には放校だが。
「あ……すいません、答えにくいことを聞いてしまいました」
「ま、いいさ」
 それ以上深く聞いてこられる前に、レイガはわざと話の矛先を反らした。
「そう、だな。初めて針を持ったのは、たしかに物見の塔にいた時だ。最初は例によって針穴に糸が通せない、縫い目は粗い、指をつついて血だらけと、初心者のやる失敗談は一通りこなしたな」
「なりますよねぇ」
 くすくすとイスカが笑う。同じ経験をしたとみた。
「最初は苦手分野だったさ。穴だらけの指を見るに見かねて……姉が……教えてくれた。まぁ、人のやる気をくすぐるのがうまい人だったわな。おれ様は昔からドレスとか好きだったんだよ」
 しゃりしゃりと音を立てる滑らかな絹の手触り、ふんだんにあしらわれる繊細なレース。
 ――ほら、綺麗でしょう? いつか自分でドレスが縫えたら、素敵だと思わない?
 もし「妹」にいうならごく自然な台詞だったかもしれないが、「弟」相手にはなかなか出てくる台詞ではない。
「気が付けば、ドレスが縫いたいばっかりに裁縫の腕だけ上達してな。おかげさんで、時間と材料と道具さえあれば自分の体型にあわせてドレスが縫えるようになった。世界広しといえども野郎の体型にあわせたドレスを縫ってるのは、おれ様だけではないかね」
「は、はは……」
 聞いたほうは苦笑するしかないだろう。
 レイガも少し口元に笑みを浮かべた。
「でも、こうやってお話をしているとレイガさんは本当に普通の男性と変わりないですね。僕、もっと素のままでも女性のようなところがある方かと思いました」
 素直なイスカの口調に、そうきたか、とレイガは感心する。
 この世界、女装する男に不当な扱いは常である。自分たちに理解できない生き物を排除する傾向はどこにでもあるし、また危険性が分からないのだから自己防衛の観点からすればある意味正しい判断かもしれない。そういうふうにレイガが納得しているあたりが、一般人からすると考えが読めなくて逆に理解を得られない部分でもあるのだが。
 例えばコゥイが気持ち悪いとか、そばに寄るなとわめいているが、それが本心からの台詞だとしても友人としてレイガを扱っているだけでも理解ある部類に入る。
 目の前の少年の態度は、神官という立場がそうさせるのか、はたまた天然の性格ゆえか。レイガは値踏みするよう、色違いの双眸をすうっと細める。
 イスカがそれに気づいた様子はなかった。

   *

「……てなことがありました。まる」
 夜、酒場にて。
 騒がしい店内の隅で、レイガとコゥイは差し向かいで飲んでいた。ワインの入った素焼きのカメを持ち上げ、レイガはコゥイの杯に中身を注ぐ。
「ほぉ? まぁ、あいつに対して、野良の俺らと同じ判断基準を求めることそのものが間違いなのかもしれねぇけどな?」
 部屋を留守にしていたコゥイは、注がれたワインをぐいとあおった。
「おれたちゃ野良か」
「お前には血統書付けようか」
 コゥイの冗談に、冗談とは分かっていても不快感をぬぐえないレイガは「いらん」と首を振る。それから勢いよく自分の杯をあおった。
 コゥイが聞いてくる。
「で、あの坊主はどうしてるんだ」
「寝とる。ここに大地の神の神殿はないからな。子供にしか見えない外見で、しかも坊さんを酒場に連れてくるわけにはいくまいて」
 海辺の町なのだから信仰するのは水を司る神が主流になる。
 飲酒に関しては各神殿によって禁止しているところもあれば許可されているところもある。だが、一般人の中にその区別を知っているものは少ない。ちなみに大地の神殿は飲酒を禁止していない。酒は大地の恵みであるからだ。

 レイガは自分の杯にもワインをつぎ足し、ちびちびと飲む。
 何の脈絡もなく、ため息混じりにレイガはつぶやいた。
「おれ様が女に生まれてりゃ、どんなのだったかなぁ」
 その目の前でコゥイが飲みかけていたワインを喉に詰まらせる。
「大丈夫かよ。慌てて飲むからだ」
「……誰のせいだと……」
 せき込みながらコゥイは真紅の目でぎろりとにらんできた。
 もちろんそんな視線がレイガを傷つけるはずもなく。
 思う存分、心は夢想の世界へとひた走る。
「そう考えたのは一度や二度じゃきかないな。昔から……好きだったんだよ。薔薇とか真珠とかレースとか、そういうきれいなものが。男が興味を示したら周りからは奇異な目で見られるが、女が興味を示しても不思議じゃなかろう?」

 しゃりしゃりと音を立てる滑らかな絹の手触り、ふんだんにあしらわれる繊細なレース。
 ふくいくとした薔薇の香り、天鵞絨(ビロード)のような八重の花びら。
 形よく結い上げた髪に、ちりばめられた金粉・銀粉・宝石の粒。
 ほっそりした首を飾るのは、ミルクに虹を足したような色の真珠の首飾り。
 薔薇の色数ほどもある多彩な口紅の色。まぶたを彩る色粉は孔雀の羽よりもっと多彩。

 舞踏会になれば花のように着飾った貴婦人たちが、ろうそくの灯りや月明かりの下で光り輝く。男がいくら華美に着飾ってもその華やかさには叶わない。
「他にも、さ。リュートを爪弾く指先とか、軽やかに円舞の手順を踏むつま先とか。細剣の踊るように動く剣先とかも。ようするに、きれいなものは男向けとか女向けとか問わず好きなんだよ。ところが、たまたまというか、おれ様の好きなものは女の好むものが多い。なぜよ?」
「知るか!」
 ドン、と木製の杯を机の上にたたきつけるように置く。
「そりゃな、野郎でもきれいなもんはきれいだと思う。だが自分で身につけたいとは思わん。そういうのは、きれいな姉ちゃんに贈って目で楽しむもんだ」
「むう。『女なんてのは一皮むけば魔物』ってのを少々見すぎたからなぁ……」
 そのせいかどうか、レイガは女性を見てもあまり性欲というものがわかない。生まれつきのような気もする。コゥイはそれを知っているから平気でヒスイを預けていった。じゃあ男に対してはというと、男性を見ても性欲を覚えるといったことがない。
「例外はコゥイだけなんだな、これが」
「いやな例外を作るな!」
 再びドン、と杯を机の上にたたきつけるように置く。今度は鳥肌が立っていた。
 反応があまりにも率直でレイガは心から笑う。
 普段あまり感情を表にださないレイガが笑っているのが珍しいのか、コゥイはそれ以上悪口雑言を続けるのをやめていた。一本きりの右手で頭をかく。レイガは、空いたコゥイの杯に再びワインを注いだ。

 もしも女に生まれていたらと考えたことは何度でもある。
 今でも、ときどきそう思う。
 だがもしも本当に女として生まれていたら、自分の幼少期はそれはそれはつまらないものになっていたに違いない。
 血なまぐさい戦いは嫌いだが剣を振って体を動かすことは嫌いではない。
 思う存分勉学に励むことも好きである。
 他人には女装趣味ばかりが印象に残りがちだが、その一方で興味のあることはとことん調べ尽くしたいという知的探求心も間違いなくレイガの一部だ。行き過ぎる知的探求心もまた変人と紙一重である。レイガは、自分を表現する単語として「変人」というのはかなり的を射た言葉ではないかと思っている。

 もしも女として生まれていたら。
 剣を学ぶなどもってのほか。勉学に励むこともどこまで許されたやら。
 物見の塔へ行き、魔術をおさめることもままならなかったに違いない。あそこは経済的援助がない人間には厳しい。女が魔術を学ぶことを実家が許可するとは思えないし、仮に単身で物見の塔へ赴いても、授業料を払うあてのない娘っこ一人などすぐに放り出されたことだろう。
 誰かと歴史や経済の話に花を咲かせることもなければ、軍事や政治について論じあうこともない。口をきく相手ときたら、男のことと、お稽古事と、おしゃれの話題しか知らない娘ばかり。
 きっと退屈で退屈で、悔しくて悔しくて、そして思うのだろう。
『男の子に生まれればよかった』
 絶対にそうなる。
 結局、憧れが手に入らないことに悔やむのは同じだ。

「いまは……それなりに満足してるよ。それなりに、な。男の部分があって、女の部分もあって、両方がおれだもの。男の体で、たまに女の姿して、剣を握って、魔法となえて……しょうがない、両方あって、おれだから……変人で十分だ……」
 永遠に手に入らないと思っていた。
 ひらひらのドレス、華やかな化粧品。
 女に生まれなかった自分には、手にすることもできないのだと。
 ところが、だ。常識という枠を越えれば手に入れることができた。
 その代償として周りから奇異の目でみられても、嫌われても、憎まれても。
 自分一人が気にしなければ我慢できる範囲だ。
「おれは……おれだものぉ……」
 常識破りも、ここらあたりが自分らしく生きる精一杯。
「レイガ? 言葉があやしいぞ。酔ったか?」
「うん?」
 ちびり、と自分の杯の中の酒をなめる。そうかもしれない。味覚が正常に働いていない。
 それほど飲んだ覚えはないのにな、と思いながら卓の上にうつぶせになった。
 頭のもう一方で、気分によっては弱い酒でも酔うさ、と冷静な声がする。
 レイガ、と声がする。
 なんだかコゥイの声が遠い。
「本格的につぶれたな、こりゃ」
 もう誰の声だか、遠い。

 頭の上に大きな手が置かれ。
 手が、くしゃくしゃと髪をかきまわした。
 これは夢だと、頭の中で自分の声がする。
 そうか夢かと、もう一方の自分が納得した。

 今は、それなりに満足。期限付きの自由。
 手に入らないと思っていたものも、いくつか手が届く。

 虹のふもとを追うように、星のかけらを落とすように。
 すきなひとだけは
 永遠に手に入らない。
<終>


<あとがき>
レイガ主役。彼もまた腹の中に色々詰め込んでいますが、それが明らかになるのはいつの日やら(笑)
男の体に間違えて女の心が入っている方がたまにおられるようですが、レイガはそういうわけではないようです。
コゥイに恋しているのは……多分、レイガ氏は惚れたら男女関係ない人なのですヨ。
うちはノーマルカップリング推奨なので残念ながらレイガ氏の失恋は確定しています。すまん、レイガ。

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