定められた子
 
 もし、いくつもの偶然が重なったとしたら、それは運命と定めるべきであろうか。

   *

 雪が舞っていた。
 その舞い方こそは確かに美しかったが、降り積もった雪は「美しい」だの形容している場合ではないくらい、傍迷惑に積もっていた。
 人々は戸口を固く閉ざして、雪と氷の精が通り過ぎるのを静かに家の中で待つ。路上で眠る者は間近に聞こえる死の息吹に怯えながら。この地方では冬になるとほぼ毎日こんな調子だった。
 誰一人屋外に出る者のない天気の最中、雪に足を取られながら、一人の女が歩いていた。
 頭からすっぽりとショールをかぶり、首元に巻き付けている。腕には白い固まりを抱いていた。その大きさといい、形といい、すれ違う者がいたなら誰でも、その固まりをひとつの可能性と直結させただろう。
 女は、歩いて歩いて、降雪の向こうに建物を見つけた。
 そこで立ち止まる。
 どうやらこの建物こそが女の目当てだったらしいが、女は建物には近づかなかった。道らしくない道の、その端に寄ってしゃがみ込み、固まりを地べたに置く。そして、その場で雪をかきはじめた。柔らかい粉雪は掘るのにたやすい。すぐに穴、というよりは窪(くぼ)みが出来上がった。女は軽く息が上がっている。雪を掘った手はかじかんで赤く、爪先に塗られた塗料は色がはげていた。
 ぎくしゃくとした手で固まりを抱き上げると、巻き付けていた白いマントをはいだ。ばら色の毛布にくるまれた赤ん坊が現れる。小さな頭だけが毛布の端からはみだしていた。女は、毛布をやや下げて赤ん坊の顔をはっきりと出すと、その顔にキスの雨を降らせた。そして、窪みの中に赤ん坊を置いた。
 雪のゆりかごの中、赤ん坊は目を閉じている。
 女は自分の首筋に手を滑り込ませ、首飾りを外した。革ひもには装飾品らしくない意匠の、金の飾りがぶら下がっている。女はその首飾りを赤ん坊の首にかけた。
 子供を前にして、女は指を組んだ。重なった親指の上に額を当てる。
「女神様。愛の女神様。この子を女神様の御許へお返しいたします。どうぞ、迷わずたどり着けますよう、お導き下さい……」
 そして女は、ばら色の毛布の上に雪をかぶせた。
 突如、子猫の鋭い鳴き声が乾いた冬の空に木霊した。
 女はその声にひるむことなく黙々と雪をかぶせ続け、ばら色の毛布が完全に雪の下に埋まるまで手を休めなかった。
 赤ん坊をくるんでいた白いマントを羽織ると、襟元をきっちりと掴み、そのまま来た道を逆にたどっていく。彼女の耳には雪の下から懸命に泣き叫ぶ声は聞こえていないようだった。

 雪は風を呼び、吹雪になった。
 赤ん坊の声は吹雪にかき消され、そのうち、途絶えた。

 さて、その場所から目と鼻の先にある建物は、神殿だった。
 神殿に勤める若い巫女がおそるおそる年輩の巫女に声を掛けた。
「赤ん坊の声がするのです」
 年輩の巫女は一瞬、嫌そうな顔をした。若い巫女がその表情を見て、自分も顔を曇らせる。うなだれた。
 だがそれでも、そろりと上目遣いで年輩の巫女を見る。年輩の巫女は小さく「やれやれ」と呟いた。肩の力を落とすと、若い巫女に向かって
「……声はどこからするのですか」
 と問うた。
 若い巫女がぱっと表情を明るくした。

 吹雪の中、二人の巫女が体を寄せ合って神殿を出た。
 人の声らしきものは聞こえない。雪のうなり声だけが通り過ぎていくだけだ。
 年輩の巫女は関節痛の心配か、腰をさすり始めた。若い巫女は、相手の眉間のしわを注視しながら
「風に乗って赤ん坊の声が、確かに、聞こえました」
 と主張した。
 都合のいいことは起こるものである。そのとき、年輩の巫女の耳にも確かに、子猫が鳴くようなか細い、だが鋭い声が聞こえた。
 二人の巫女は顔を見合わせた。
「探しましょう」
「……はい」
 巫女たちはどこから声がするのか懸命に探した。
 だが、それらしい影も形も発見することが出来なかった。若い巫女が諦めかけたところへ、年輩の巫女は青ざめて呟いた。
「もしや、雪の下……」
 つられて若い巫女も青ざめた。
 反響する泣き声を頼りに巫女たちは雪をかき分けた。
 か細い泣き声がとうとう途切れたとき、二人の巫女はばら色の毛布を発見できた。年輩の巫女が抱き上げる。赤ん坊の息は弱い。
「早く……お湯を沸かしてもらってください」
「は、はい!」
 まさに転げまろびつ、という表現がぴったりの慌てようで若い巫女は神殿に走っていった。
 その後を子供を抱いて、多少は慎重になりながらもやはり裾を蹴りつつ、年輩の巫女も走る。年輩の巫女は抱きかかえた時、胸に当たる異物に気が付いていた。
 子供の首にさげられた金の首飾り。それは巫女達が仕える、愛の女神の聖印だった。

   *
 
 やがて雪が解け、水ぬるむ頃、ようやく他の村と交流できた人々の間に噂が流れた。
 冬の間に神殿に拾われた子供は、愛の女神の申し子だと。

 雪に埋められてなお生きていた強運。
 それから身に付けていた聖印。
 赤ん坊は女の子だった。
 その性別こそが女神の申し子にふさわしい。

 奇跡的にも両手両足の指はついたままだった。発見が早かったので凍傷を免れたのだ。弱っていた体は巫女たちの献身的な看護のおかげで、奇跡的に持ち直した。青黒いへその緒がまだ付いたままだったという。
 その子は女神にちなんで、名前に「愛」の字をもらった。
 赤ん坊のうちに愛の女神の神殿に拾われる女の子は、みんなその字を付けられる。そういうきまりだった。
 彼女は「愛紗」と名付けられた。

   *

 「申し子」と噂されるたびに彼女は微笑んで否定する。

 私はどこにでもいる普通の娘。
 女神の申し子なんて、ただ偶然が重なっただけに過ぎない――。

 もし、いくつもの偶然が重なったとしたら、それは運命と定めるべきであろうか。

   ***

 そのアイシャは長じて神殿をでた。それからはまた別の話である。

<終>


<あとがき>
 アイシャの神殿がらみの過去。
 実際、どこまでが偶然で、どこまでが必然なのでしょう? しいていうなら、偶然が必然を呼ぶといったところでしょうか。茅さん、意味ありげな過去を作るの好きだからなぁ……(他人事)

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