<猫>
 弟が埼玉県に就職してしまった。手紙も電話も寄越さない。まあ、心配事無く無事に生きているだろうと父は大笑いするのだが、母は気に掛かって仕方がないようだ。とうとう貰ってきたメス猫にまで弟の名を付け、「ひろや、ひろや」と呼ぶ始末。私はそれに対抗して、「ねいこ、ねいこ」と始終言っている。
 一番気の毒なのは、弟だろうか猫だろうか……両方かも知れない。

 んな〜。 んぎゃ〜。 なぁ〜。 んぐぁ〜。
 夜中の猫の叫び声に誘われて、窓を開けた。苦しい気持ちのありったけを喉に寄せ集めて、鳴き真似をした。それでも心は治まらない。あきらめて布団にもぐろうか。布団の中で、猫のように円くなろうか。
 くやしい。くやしい。くやしい。口惜しい。
 私は私はわたしはワタシハ……。
 涙は溢れ、袖口で拭うだけではおさまらず、勿体ないからと毎日けちけち、出来るだけ使用しないようにしているティッシュペーパーのお世話になった。
 今更、もしもだなんて馬鹿馬鹿しくて言えない。
 交通事故はあっけない。
 弟はもういない。
 さよならなんて言いたくない。
 帰ってこい、馬鹿裕哉。
 叩きのめしてやるから、帰ってこい。問答無用。
 ……。
 もう一回、将棋しようよぉ。


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