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薄暗い部屋に、三人の男の背中。いや、真ん中にいる黒い背広を着た男の前に、机を挟んで向かい側にもう一人。その一人は黒い革張りの椅子に深く腰掛けて足を組んでいる。闇に満たされた部屋で、彼の白衣はより鮮明に浮かび上がり、その存在を強調していた。
「約束の金です」
白衣の男がどうやら部屋の主。黒い背広の男はどちらかというと丁寧な口調で銀のアタッシェケースを置いた。目の前で開かれたそれにはぎっしりと金が詰められている。白衣の男は一瞥しただけだった。縁のない眼鏡の奥で目が細められる。
「いらんわ、そんなもん」
と、すがめた目で笑った。関西訛りのある独特の発音で。
「何のつもりですかな……?」
「まあまあ、そないいきり立ちなや。別にサツにタレこむ気ぃやあらへんし」
カチ。
ポケットから取り出した百円ライターの音が煙草に灯をともす。紫煙が細く立ち上るのが暗い室内でよく見えた。
「金はいらん。あんたら、ちぃとやりすぎや。こっちに飛び火せえへんうちに、悪いけど切らせてもらうわ。こっちまでサツに目ぇつけられんのはかなわんしなァ」
くゆる煙はフロンティア。ガラス製の灰皿の中で潰す。
「……。そうか、分かった」
相手の男は、意外なほどにあっさりと引き下がった。
アタッシェケースの蓋を閉じ、それを自分で机の上に降ろす。金の詰まったそれはずしりと重いだろうに。
医師はそれをみてかすかに口角をつり上げる。
それとほぼ同時に、男の両隣にいる若い衆が拳銃を抜いた。
ドンッ
ドンッ
ドンッ
「がは……ッ」
花火が打ち上がるように華やかな火薬の破裂音。
銃弾は全て、医師の胸に吸い込まれる。
「ヤクザ相手に『はい、やめます』で済むと思った方が甘かったな」
黒背広の男は笑ってアタッシェケースを持ち上げた。
隣のボディーガードの一人に渡す。カツカツカツ、と床を蹴って三人が出ていこうとした、その時。
背後で二発の銃声が鳴った。
黒背広の男の両隣で、ボディーガードが二人ともそろって地に沈む。
「なッ?」
馬鹿な、と振り返ったその場所に。
撃たれたはずの医師が平然とした顔で拳銃を握っていた。胸には風穴の開いた後。だが、黒背広の男は愕然とした。血が流れていない。
防弾チョッキ。
思い至ったところで黒背広の男は考えることを永久にやめた。違う、やめさせられた。三発目の銃弾が男の脳味噌を吹っ飛ばしたのである。
「ふふん、アホが。お前らみたいなんを相手にしとる医者がハジキ持っとったっておかしゅうないやろ」
無駄口を叩く前に、やる。
殺したあとで無駄口はいくらでも叩ける。
医師はそういう主義だった。三人の男の死体を前に、後の掃除が大変やろな、と、どうでもいい心配をしてみる。
屍を見下ろした後、今度はうってかわった温かな目で右手に握った拳銃を見つめた。
「それにしても……持ち主によぉ似た、刀みたいなニューナンブやな」
ええ切れ味や。愛おしげに、その無骨なフォルムを左手の指でなぞる。
これの前の持ち主は侍のような男だった。
警察という組織に組み込まれた一匹狼。狼はどんなに首に縄をつけられても山犬の群の中には馴染めない。いつも何かに噛みついているような男だった。あれは道さえ違えば筋の通ったイイ極道になれた男だ。
だから最初はてっきり、その筋の若いモンだと勘違いして。
出血多量でゴミために落ちていたあの男を拾って治療した。それが始まり。
意識を取り戻した男は開口一番、
『銃創は警察に通報する義務があんだろ』
という。後ろ暗いところのある者なら絶対いわない言葉。
『あんた、もしかして、お巡り? ……しもた、助けるんやなかったわ』
『てめェ……』
それが始まり。
馴染むまで使い込まれたニューナンブ、煙草はフロンティア。胸のポケットにはいつも百円ライター。医師がジッポを愛用しているのを見て「そんなに重いもの、よく持ってられンな」と本気であきれていた。
『シゲちゃん、煙草買ぉて来てー。ラークの、ライトとちゃうやつなー?』
『シゲちゃんと呼ぶな! それから、オレを使いっ走りにするな!』
『いけず。命の恩人やのに』
『命の恩人じゃなかったらとっくにしょっ引いてンだよ!』
そういって手錠を取り出すときの目は本気だった。だから、余計に笑えた。
かたや刑事、かたやヤクザ相手の悪徳医師。互いの仕事の領域は重なることも多かったけれど(それも全く正反対の立場で)、それでも一緒に飲む酒は美味かった。
なのに。
「仇討ちみたいな格好ええモンやあらへん。……せやけど、ちぃっとばかり嫌気が差してきたのも確かやしな」
足元の屍を見る目が液体窒素よりも冷たくなっていることが自分で分かる。
ただの友達より多分ずっと強い絆、しかし親友と呼ぶにはかなりむずがゆいもののある仲。悪友というのでもない。強いていうなら戦友だろうか。いや、それも敵同士だった自分達にはそぐわない言葉。
ポケットから煙草を探る。あの男が残したフロンティア(開拓者)という名の煙草。内側のホルスターに形見のニューナンブをしまって、医師は煙草に火を付けた。
カチ。
暗い部屋に一瞬灯る明かり。安っぽい音。普段なら絶対に使わない、どこにでもある百円ライターを握りしめる。
「……軽い煙草や。こんな軽いの吸うてたんかい」
ほっとけよ。馴染んだ煙草の香りが声を運んできた気がした。
医師は煙草をくわえたまま、扉の外に出た。カツカツカツ。闇の中、廊下を歩く音が乾いた音を反響させて、そして遠くなって消えた。
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